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明けましておめでとうございます。

日本の新春は良いですね。温帯の島国の正月は穏やかで、身の危険を感じることはありません。できれば、お琴や羽根つきの音や子どものはしゃぐ声が道路の方から聞こえてきたら最高なのですが。

ところで、今から20年ほど前に国連を中心として「このままでは文明は持続しない」という考えがでてきました。このような考えは珍しいものではなく、昔は「末法思想」、「この世の終わり」などが来るとされ、さらにマルサスの人口論のようなものも人気になったことがあります。

10年ほど前にはノストルダムスの予言、2012年にはマヤ暦の終末などがあります。人間はなぜか未来に対して漠然とした不安を持っているように思います。でも、「この世の終わり」というのは、地球が爆発するのか、生物が絶滅するのか、人間が居なくなるのか、それとも単に「今使っているエネルギーが少なくなる」とか「日本が衰退する」といった小さいこともあり、意味はハッキリしません。

物理学的には宇宙が無くなるのは150億年程度、地球が太陽に飲み込まれるのが80億年ぐらいと計算されています。また、生物の大絶滅が起こるのは2700万年ごとに落下する巨大隕石ですが、それまでにはまだ1000万年ぐらいはあります。

それより危険なのはCO2が無くなることで、これは2000万年から5000万年後と考えられます。その他、人間という種が無くなる時期についてはハッキリしませんが、地球を支配した多くの種の寿命が2000万年ぐらいということを参考にしますと、すでに人間が誕生してから500万年ぐらい経っていますので、あと1500万年ほどの余裕があると言えます。

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持続性社会が現実になるかという問題は、学問的に冷静に考えれば、「人間に知恵があり、この地球は十分に大きいので、まったく問題はない」という事になります。人口は自動的に調整されますし、エネルギーも資源も十分にあります。小さい人間がどんな生活をしても、それによって地球が変化するという恐れはノストルダムスのようなものです。

科学が進歩しますし、戦争も起こりにくくなり、不完全ですが国民が主人の方に進んでいます. 男女関係もより自由に、そして女性が元気になりました。毎日、額に汗して働き、工夫を凝らし、できるかぎり他人のお恵みから遠ざかれば何の問題もないというのが歴史の経験と生物の原理の示すところです。

被曝だけ注意して、楽しく、幸福にこの一年を過ごすことができると思います。ただ、まだ核兵器が世界に多くあること、日本の学会では「持続性社会を研究する」ということで多くの研究費が出るので、学者としてもっとも大切なこと=「持続性社会という概念は正しいのか?」を考えることをせずに「節約関連」などの研究をしていることは日本を衰退させる結果になると思います.

(平成25年元旦)