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共同通信などが流しているニュースによれば、「東日本大震災の後、三陸沖に派遣された米原子力空母ロナルド・レーガンの乗組員8人が、「東京電力福島第1原発事故の状態を正確に伝えられず被ばくし健康被害を受ける可能性があるといして、一人約11億円の損害賠償訴訟をサンディエゴの米連邦地裁に起こした。」

この事件は二つの視点から見る必要があります。

第一に「被曝は「損害」」ということで国際的にも認められているということです。それは「どのぐらい被曝したら、病気になるか?」ということではなく、「被曝自体が損害である」という「概念=コンセンサス=国際的に同意していること」ということです。

日本国内では専門家やマスコミが正しく情報を流さなかったので、「我慢する」とか「被曝など大したことはない」などの情報が流れたのですが、被曝と社会との関係はすでに世界的に決まっていて「被曝=損害」であり、「損害=補償」です。つまり被曝による健康障害の有無やその程度とは一応、切り離して、被曝を損害と認め、その補償を求めています。

このブログでも再三、指摘していたように11ミリの被曝限度は「我慢できる範囲」であり、それを超えたものは「損害」になります。また1キロ100ベクレル以下のものは「まったく損害とは認めない」という意味を持っています。

この世界的な合意に基づき(もちろんICRPも同じ考え)、日本の法律でも「被曝をできるだけ避けなければならない」と明記されています。従って、法治国家ならたとえ軍隊であれ、被曝は損害であり、その損害に対して補償を求めるのは国民の当然の権利だからです。

事故が起こって「1年何ミリまで安全か」という議論をする人が出現し、それもほとんど放射線や被曝、人体の劣化などに関係の無い人が発言されてきたという事実、さらには川崎市長のように「児童に被曝させるのが何が問題だ」という趣旨の発言をくり返し、給食に汚染されたミカンを出し続けるなど、日本が野蛮な国という印象を強く持ちました。

このように、政府、自治体、マスコミ、東電、上官などが、法令に反して被曝を容認したり、被曝に関する正しい情報を伝えない場合も犯罪に当たりますから、もちろん日本でも同じ訴訟が成立します。

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第二の視点は、「国」というのは「個人」の集合体であり、決して「個人が国の一部」ではないということです。たとえ軍人であっても、国を守るという正当な目的以外で、不当な損害を受けた場合は、それを「我慢する」ということを命じる「権威」はどこにもないからです。

これはヨーロッパ文明に特有ではなく、日本はむしろ奴隷制度を置かなかった国として、国民が国を作っていること、その中に権威が必要とされるので天皇をおいたという関係になっていて、決して「国が国民の所有者」という考え方はなかったと考えられます。

まして、現在の憲法では、国民の主権、基本的人権のもとで国が運営されているのであり、その点でも民主党政府、各自治体、専門家、マスコミが「国民は国に所有物であるので、法令によって守る必要は無い」という態度に終始したのは実に残念です。

この裁判の帰趨は別にして、アメリカより遙かに長い文化と高い道徳心を持つ日本が、アメリカ兵士の行動に学ばなければならないことは実に残念です。

(平成241228日)

(録音ではNHKが繰り返し報道をしていないといいましたが、その後、NHKのネットで報道を見ました。若干、報道をしているようです。でもこのぐらいの報道では事故直後の「健康に影響がない」とくり返して、逃げるチャンスを失わせたことはカバーできないと思います。)