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先回、1990年以後、日本国民が消費を抑え、その割には国民が働いたのでお金があまり、それを国が使ったので、赤字が増え、赤字国債、借換債で国の借金が雪だるま式に増えていって、結果としてなったことを話しました。

つまり、2012年の増税は今から20年前から国民が選択した道だったということになります。でもこの道は政治家や官僚のように国民の生活より利権を重んじる人たちに取っては願ったり叶ったりだったのです。

つまり、国民が「お金があるのに節約する」という行動にでて数年経ちますと、政治家や役人は「これは素晴らしい」と気がつきます。簡単に言うと、「本来ならお金を稼いでいる国民が使うべきお金」を、「国民が節約するので、そのお金を役所が使える」と言うことになったからです。

非常に簡単に言うと、年収500万円の人が、それまで50万円の公的徴収金を払って、450万円で生活していたのに、節約して400万円で生活をしたとします。50万円は銀行に預ける訳ですが、企業も売り上げが50万円分減るのですから、お金は貸すことができません。

かくしてお役人は「国民に節約を呼び掛ければ、黙っていてもお金が手に入る」ということになったのです。

税金を50万円増やすというと大変ですが、国債を出すのですから、それを補填するのに20年後に増税するということになると納得性がでます。

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この話は良く経済学者から「それは間違っている。国家が投資しても、それは結局、国民の手に渡るのだから」という反論がきます。また、「国家の投資はやがてその投資の成果があがるのだから単純な損失ではない」と言われます。

でも、結果として間違っていました。バブル崩壊から約20年。国民は節約をし、国家は赤字公債を出し、その結果、国家財政は赤字になり(国際的には問題はありません)、増税になりました。国家の投資は損失になったのです。

なぜ、この20年の国家の投資が損失になったのか、それは次回に考えるとして、もう一つは「節約は何をもたらすのか?」について、マスコミも伝えず、議論もされなかったのです。

その一つの例が、「節約は環境を良くする」と言う作り話でした。本当に環境が悪かったり、ゴミを減らせば改善できれば、社会に寄与しますので、損失にはなりません。しかし、1990年時点ですでに日本は環境問題をクリアーしていましたし、ゴミが増えれば焼却すればよいので、「環境ではなにもすることはない」という状態だったのです。

だから、日本のお金を環境に回すというのは「環境を改善しない」、「国力を上げない」という二つの点から、無意味だったのです。ただ、環境省と結びついた環境ビジネスという架空の会社だけが儲けました。

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おおよその全体像は明らかになりました.しかし、このような整理がなぜされないのでしょうか? それは、

1) 経済学者などは「国家の経済」、「個人がどうして儲かるか」などは熱心なのですが、「国家のために個人はどのように行動すれば良いのか?」などにはあまり関心が無いこと(経済学の倫理欠如.私たちの技術も同じですが)、
2) 心ある銀行家は「お金は社会の発展のためにある」と言う気持ちなのですが、マネーゲームのようなバブル崩壊やリーマンショックを防ぐことはできませんでした。
3) マスコミは格好をつけて「節約」とか「リサイクル」を推進したので、それが利権につながっていて、やがては「増税」になることを言うことはできなかったのです.つまり最後まで「よい子」でいるので問題点を明らかにできなかったのです.

そんな中、国民だけがバブル、金融機関の倒産、年金破綻、リーマンショックなどに翻弄されて来たのです.専門家が誠実でない今日、やはし少しでも知識をつけ、本当のことを理解しておく必要があるように感じます.

(平成241223日)