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女性は子どもを産み、子どもを育て、孫の世話をし、家庭を守ることによって天寿を全うすることができる。これに対して男性は結婚し、子どもを作り、家族を養い、子どもの教育を完成するまでに50年かかる。それ以後はどうするのか?

それまで貢献したというけれど、それはすべての人だ。男なら自分で考えろとも言えるけれど、少し検討してみたい。

人間は「社会に貢献してはじめて健康になり、生きることができる」ことをこのブログで解説をしてきた。体の健康よりまずは「貢献」が第一であり、それができれば始めて「体の健康や食事」に注意する意味が出てくる.

50才から65才ぐらいまではまだ仕事がある。でも、私は50才代で常に「50才以上の男性は意味が無いから、若い人の発言を良く聞くこと」と言っていた.この15年は徐々に自らを後退させて、後進を育てることに力を注ごうとした。

私が50才代の教授だった頃、助手の人に「私は先生のように全身全霊で学生を教育することはできません」と言われた.後進を育てなければいけない年齢という意識が強すぎて、若干、行きすぎていたような気がする.

63才になって、マスコミに出るようになり私は全国を駆け回り忙しくなったけれど、秘書などは置かなかった。自分ですべての雑用、切符の手配などを行っている.それは「若い人に自分の世話をさせるような事はしない」と思っているからだ.まず「自分のことはすべて自分でやる」という覚悟が必要だ.これは社会に貢献するから元気が出るし、体や頭の老化を防ぐこともできる。

引退して時間が出来るようになっても、努力して仕事を見つけ年金に期待しないのが第一目標。しかし、年金制度は今でもあるので年金でもらったお金はすぐ使って若い人の商売を助ける.でも、長い間、「揺りかごから墓場まで」と言われてえ社会保障があり、引退したら年金という話だったので、今の65才以上の人に急に人生計画を変更することを求めるのは酷だから、今、50才ぐらいの人からだろう.

若い人の年金負担が増えると言われるが、私は若い人に迷惑を掛けるぐらいなら、65才以上の人だけで共和国を作り独立採算でお互いに助け合っていけると思う.

問題は仕事が無く、体も不調の時にどうするかということだ。せめて、道路の掃除などはできるし、人がありがた迷惑をしない程度のことを探す事になる。決して、若い人や子どもに小言を言ったりしてはいけない.自分の方が価値がないのだから。

そういう生活の中で、私は「田畑を残す」と言うこと、つまり若い人に職業を作ることだ。自ら実業の経験のある人は工場を作り、工場で仕事をしたことのある人は低賃金で働いて工場を維持し、次第に若い人に譲るのも良いのではないか。

「若い頃、働いたのだから、老人になったら若い人が面倒を見るべき」というのはいささか自然に反するようだ.特に私たちの世代は年金などがあり、若い頃は、それほど老人を助けなかったのだから.

(平成24129日)