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私は明治時代の教育勅語や、戦後作られた教育基本法の第一条が好きだ。そこには私が教育者として仕事をしている目的が的確に表現されている。

「教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」

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人間は「真理」を愛さなければならない。もし多くの人が真理を愛したら、ややこしいことや迷信などが無くなり、かなりスッキリする。先日、「先生はなぜタバコの本なんか出したのですか? 敵を作るだけじゃないですか」と言われた。

その方は好意で言っていただいているのですが、私は「真理」を愛し、それは「自らの評判」より上位にあるので、自分が「真理に少しでも近づく」ことができれば、それが「自分に致命的な打撃を与える」ことになっても、変えない。それこそが「真理を愛する」ということだ。

目の前に絶世の美女が現れたからといって、愛する人を捨てるような男は誠実な男性とは言えない。私のタバコの本はその信念でもある。

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人間は「正義」を愛しなければならない。もし多くの人が正義を愛したら、ややこしい争いの多くは解決するだろうし、差別やイジメは激減すると思われる。正義は立場によって違う。自分の正義、家族の正義、相手の正義、地方の正義、日本の正義、中国の正義、サルの正義、ミミズの正義、川の正義・・・正義とは相手の価値を尊ぶことが含まれなければならない。

東京の正義は地方の正義ではないし、日本の正義は中国の正義と一致しない。太陽光発電で人間はクーラーを使えるが、それで光を奪われる生物は死に絶える。一言で「自然を守る」というが、それは「人間のために自然を守る」のか、「自然のために自然を守る」のか、はたまた「現在を良しとし、過去も未来も変化を否定するのか」、そのスタンドポイントを示さないと独善になるだろう。

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地球温暖化騒動では、教育は自ら教えていることと違う事を利益のために子どもに教えた。福島原発事故では、政府、メディア、そして専門家が自ら言っていたことと違う事で国民を被曝させた。真理も正義も完全に無視されたが、その中心に「東大卒」がいた。

今の日本では「東大卒は最高の教育を受けた人たち」となっている。だから、教育基本法と東大卒の言動を整理すると「東大は教育機関ではないので、即時、廃校すべきである」という結論になる。日本にそれだけの「正義」が存在するか?

学校教育、受験などあらゆる場面で、「真理」、「正義」、「個人の価値」は無視され、ただ、「質問に答えること」、「数学ができたり、ピアノが弾けること」だけが重視される。それも立派だが、「教育の成果」ではない。教育は数学の教育、ピアノの教育を通じて本人が高い人格を得たときに始めて完成する。

私は自分一人になろうとも、日本で教育基本法の精神に基づいて教育を行い、学問の自由に基づいて社会活動をして行く。裁判官ですら正義を愛しているかどうかわからないが・・・

(平成24122日)

(音声の中で2回目の田中文部大臣のことを、総理大臣と言った気がします。修正します。)