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日本には委任立法(肝心なことは省令に任せる)が多い。官僚が実質的な裁量権を持つことが先日の大学設置審議なども同じで、もしハッキリと明記すればずいぶん税金は減る。「国民の健康を守る法律」というようなものを作り、そこには原理原則だけが示され、具体的な規制の数字は省令任せている。

これは社会が複雑になったこと、議員が勉強不足で実力が逆転していることなどが原因で、「立法府でなくても、実質的な立法権限を行政に任せて良い」という考えで、拡大してきたものだ。しかし、

1) 官僚に「程度問題」をすべて任せているので、官僚支配になるのは当然だ、

2) 政治に機動性がないが、立法府の機動性を増す具体的な方法が提示されていない、

3) だから、政治家の選挙公約が無意味になる(民主党のようにウソをつく政治家が多数、出現する)、

4) 「***基本法」などというと何となく良いことのように思うが官僚の裁量権を増やすだけ、

5) 法律に数値を含めて最小限の制限を設け、後は国民の判断とリスクに任せれば、役人の数は半分になり、税金も半減する、

6) あるいは減税しなければ、「立法府の迅速性」か、あるいは「首相が替わると中央官庁の局長以上、地方の部長以上が変わる」といように行政府に国民の意思が反映する必要がある。

私が減税を支持しているのは、まずは減税から行けば、立法府が国民の幸福を決めるということが現実になるからだ.心ある官僚の中には密かに「減税になって少し官吏が減る方が良い」と思っている人がいるが、表だって自分が言うわけにはいかないだけだ。

それと上の6)番、つまり首相が替われば局長以上が更迭されて官僚も政治の枠組みに入ることだろうと思う.特に中央官庁の局長や課長になれば日本を指導するぐらいの力があるのだから、就職が難しいということはあり得ない。

このことについて日本の優れた官僚がどのように考えているか、是非、聞いて見たいものである。おそらくは次回のブログに出そうと思っている「哲学の限界」のために「今の状態が正しい」という理屈を理路整然と述べるだろう。

先日、話題になった田中文科省大臣の大学認可の問題は、「認可基準が明記されていない」という日本式認可行政が行われているので、これも委任行政と呼べるものである。つまり国民に明示されたもので審査されるのではなく、現実に申請すると認可されるかどうかは不明だからだ。

このようなことが無くならないのは、行政の権限を残し、役人の数を確保する小細工と考えた方が日本の将来のために良い(子どものために「こんなものだ」とあきらめてはいけない。あくまでも減税からスタート)

(平成241125日)