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自分の寿命は、体力が尽きるか、ウィルスにやられるかだと思っている人が多い。でも生物の寿命は「社会貢献ができなくなった時」に死ぬのだ。

鮭は川を遡上し、上流で卵を産んで受精したら死ぬ。まだ体力があり、ウィルスに攻撃されていないのに死ぬ.それは肉が体についている内に命を終わり、栄養の少ない川の上流で孵化する自分の子どもが、自分たちの体の栄養分を食べながら川を下ることができるためだ.

鮭は年老いて骨と皮になって死ぬのではない。子どもを産んだら「社会的に意味が無いから」死ぬのである。そしてその肉を子どもに提供する.

サルの雌は生理が終わると死ぬ.サルの雌は「死にたい」と思って死ぬのではない。子どもを産めなくなったメスが生きていることは、子どもに栄養が回らないから死ぬだけだ。つまり、サルは社会的に意味を失うと自動的に死ぬ.

一夫多妻の生物のオスは、メスの獲得のために激しく戦う.しかし武運つたなくボスになれなかったオスは「はぐれオス」となり、ひっそりとしばらく過ごし、やがてボスのオスに比べたら比較にならないほど短命である.これも社会的に意味が無ければ死ぬしかないからである。

医師は誰でも長く生きることができるように日夜、頑張ってくれているが、社会に貢献しない人はいくら治療をしても直らないかもしれない。

人間の女性がなぜ生理が終わっても生きているのか不明であった。命というのは自分で決められる者ではないから、女性が「生きたい」と思うから生きているのではない。生物として生きる意味があるから生きる.

自分の最後の子どもを育てる間は生きていても良いが、それでも60才以上の女性が生きているのは不思議だ。

ところが最近になってどうも孫を育てる間は女性の体が母親の代謝に似てくることがわかった。人間は子どもばかりではなく、孫を見るのは社会的に必要だからである。

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わたしは「50才以上の男性は生きる意味が無い」という。その理由として「うるさい、くさい、便所掃除しない」と言うことが多いけれど、それはそこまで言って(寸止めで)考えてもらおうということだ。

子どもを作り、子どもを育てた後の男性は何のために生きているのだろうか?生物は「本人が丈夫だから生きる」のではなく、「社会的に意味が無くなったら死ぬ」のだから、50才以上の男性は何か社会に必要だから生きているはずだ。それは自分が元気だからではなく、社会が必要としているからだ。

「天寿を全うする」というのは長生きすることではない。「最後まで社会的に意味のある貢献をしたことを以て天寿を全うする」という。

社会に貢献できなくなった男は、病気にならなくても死ぬはずなのだ。でも、それも現代医学とは必ずしも調和しない.来年1月から中日文化センターで、ベテランで高名なお医者さんと対談をする。人間の寿命とは何なのか、深く考えてみたい.

(平成241125日)