戦後を代表する政治学者、丸山真男の論理と精神は、東大を始め日本でもっとも有力な知識人とマスメディアに受け継がれているはずです。現代の日本に関係の深い彼の思想は、次のようにまとめられるでしょう。
1)誰も戦争をするつもりがなく、大東亜戦争に突入したのは、論理で社会が動かずに空気で動くからだ。誰が主張し、誰が言っているのかわからないような空気を支持するな、
2)考えの違う他者を許さず、日本だけが特殊で一歩外国に行くと全く通用しない事実や論理を崩さない日本社会の欠陥は修正されなければならない、
3)民主主義が機能するのは、個人が自立し、尊厳を守り、本質的に矛盾する関係にある権力に対して自立することだ、
このような矛盾した日本ができたのは鎖国と開国をくり返し、精神分裂的状態になったという点では岸田秀先生などとも同一であり、丸山真男の薫陶を受け、弟子だった人は東大に多い.
それなのに・・・・・・・・・
原発事故が起こると「被曝は危険である」、「広島・長崎の悲劇を再びくり返さないように、核兵器を含めて日本は被曝については厳しい考えを保つ」という核に対する思想の中核を直ちに捨てて、「被曝は安全である」という「空気」にほとんどの知識人が応諾して、沈黙を守っていることがまず第一に上げられます.
昭和天皇の御容体が悪くなったとき、日本全体に自粛ムードが漂った時にも丸山真男は「空気」を作り出してはいけないと言っています。2011年の自粛ムードや「放射線に強い子どもを育てなければならない」などという知識人の出現に対して、丸山真男のお弟子さん、思想の影響を受けた方が声を上げないのが不思議です.
次に、温暖化対策は日本だけ、再生可能エネルギーも日本だけというなかで、「日本だけに通用し、一歩海外にでるとまったく問題にされないものが、日本だけでは常識となる」という彼の指摘もまったく顧みられない状態です。
エネルギー政策でも同じで、諸外国には「石油系エネルギーが短期間で枯渇することはない」という見方が支配的で、その結果、各国の成長政策は化石燃料の消費を増やすことによって達成する計画です。「温暖化と化石燃料枯渇」という日本の基本概念は日本以外の国では通用しません。
また、多数派につけという雰囲気が彼の時代よりさらに強くなり、他者を認めないどころか、バッシング、出演禁止、雑誌は仲良しクラブのように意見の同じ人だけを出すというようになってきました。「他者の存在を認めないのではなく、さらに病的に他者の存在に気がつかない」と彼が述懐していたのを思い出します.
先日、私が戸塚宏先生の講演をまとめたものをブログに書きました。それを「良心的」な読者の方が読まれて、「武田は戸塚先生と同じ意見か?」というメールをいただきましたが、私は繰り返し「戸塚先生とは考えが違うが」と断っています。でも、読者の方が錯覚されるのは当然で、現代の日本では「意見の違う他人の言うことに耳を傾ける」という人はほとんどいないからです。
時に、私は「二重人格者」と呼ばれます。それは「自分と違う意見の人の考えを理解する」という行動を取るからです。理解するというのは自分が同じ意見だということではなく、相手の言っていることを理解するということだけなのですが。「人の話を聞かない日本」なのですが、それにも方向性があります。
「お上が言ったことが本流であり、それに反する意見を言う人は非国民だ」という感情は日本に強く残っています。そして意見を聞かずにバッシングする、これこそ丸山真男が批判したことでもあります。もともと「戦争をする」という重要な事をお上が決めたとき、それすら十分な検討はなかったからです。
増税の問題に象徴されるように、権力は常に民主主義の敵であり、それに対する警戒心と、自立の心を持つことが求められるのに、小さくはエコポイントから禁煙運動、クールビズ、節電まですべてのことをお上からの指令で動く社会ができあがっています.
安保条約締結の時、民主主義の危機が来たと感じた日本人は正常だったのでしょう。今では「減税公約、増税実施」について民主主義の危機と感じる日本人が少なくなりました。どこに丸山真男の弟子が居るのでしょうか?
丸山真男の領域では、思想は思想だけでは意味が無いだけではなく、それが社会的運動までには発展しなくても少なくとも論壇では大いに語られ、それが社会に影響を及ぼさなければ何の意味もありません.東大には法学部があるのか、政治学者が存在するのかと疑わしくなります.
このような現状を考えると、日本には「政治学」というのは無いのではないかと思います。学問というのは積み重ねていくものですから、丸山真男ぐらいの人が体系化し、打ち立てた「日本の政治学の基本」は事態の変化によって容易には変わらないはずですし、現代の東大の政治学、日本の中枢の政治学が彼の学問から大きく変化しているなら、政治学という名前を使わずに「政治評論」と呼ぶべきでしょう。
現代の東大教授がくずれたのは、ヨーロッパのワインを飲みたいこと、勲章をもらいたいからとは思いますが、丸山は戦争中、すでに大学の教員だったときに召集令状が来ても、将校になるのを断り二等兵として出征し脚気にかかりました。我が身より魂を大切にするその思想的一貫性を思い出して欲しいものです。
(平成24年11月5日)