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中部電力課長の「福島原発事故は事故とは呼べないぐらいの小さなものだ」という発言に衝撃を受けて、「男と女」についてこのブログで書くことができなくなったが、時間というのは少しずつ人の心を和ませていくもので、男と女の深い関係の第二章を始めたいと思うようになりました。

本屋に行って「家庭」や「男女」というような本が並んでいるところに行くと、驚くべきことに「男女の諍い(いさかい)」をテーマにしたものが多いことに驚かされます.「結婚しなくても良い」、「男女の破綻」、「無理でも子育て共同参画」、「離婚は良いことだ」、「家庭内暴力は避けられない」、「オヤジは粗大ゴミだ」、「定年で離婚の勧め」・・・まるで「人生は幸福より不幸の方が良い」と言いたいような書籍が多いのに驚かされます.

これも女性の深い男性に対する絶望感がもたらしたものですから(この絶望は男性が考えているより遙かに深い)、男性も女性が我慢しているという現状を知り、傲慢にならずに反省しなければならないのですが、それにしても「幸福になるのに懸命」ではなく、まるで「不幸になるのに一所懸命」というのはずいぶんゆがみました.

そして、本人は「自分は不幸だ」というのをくり返しているのですが、そうしている内に幸福になる心の持ち方や方法がすっかり遠のいてしまうからです。「昨日は晴れ」ですめば新しい人生が開けるような気もします.

女性からの攻撃も男性を神経質にしている所もあります。たとえば「定年になって収入がなくなった夫など要らない」というようなことは心で思っていてもあまり口に出さない方がお互いに良いでしょう.

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この世に女と男、つまりオスとメスが存在するのは、その方が種が安定するからに他なりません.遺伝子は徐々に劣化することもあり、2つの個体の遺伝子を合体させて新しい生物を作る方が材料劣化という原理のもとでは望ましいからです.

男女は体が違うというだけではありません。頭脳(心)もかなり違って作られていて、その結果、基礎体力の種類にはじまり、寒さや暑さを感じる程度(冷房温度の違い)、睡眠中の頭脳の働き、言語や論理回路の構成などすべてにおいて違いがあります。違いがあるからこそ二つの性がある意味があり、社会も人生も楽しくなると思います。

女性の権利について若い頃から活発に行動されてきた京都大学の坂東昌子先生は「性差の科学」をご研究で、科学的に性差を明らかにして男女の楽しい関係を目指そうとしておられます.

「男女」というのは「平等」であるかどうかを考えなくてよいもので、人間は「男女」が一緒になってはじめて人間なのですから、どちらが上か下かというものとはまったく質的に違うからです.自分の体で「腕と足とは平等か」と言うのと同じで、筋肉で言えば足、繊細さでは腕として、それを比較する質問そのものの意味がありません。

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ただ、歴史的には「戦争の時代」に男が力をつけた不平等という状態になったことは確かです。日本で言えば、卑弥呼の時代には女性が上位にあり、持統天皇(女性)までは男女はほとんど同じようなものでしたが、それから実に1500年間も戦争の時代に入ったので、それに適した男性が力をつけたのはある意味で自然の事でもあります。

そして第二次世界大戦が終わって、基本的に戦争の時代が終わったこともあって、女性の「復権」が始まっているということです。その先頭にたった女性が不幸な人生を送ったことも仕方がありません.男性も同じだからです.

時代の変わり目に、新しい時代を切り開こうと先頭を切った男性は歴史的にほとんど殺されています.普通は第一列は全滅、第二列が半分ぐらい生き残り、第三列がようやく本来の目的に近づいていったという程度です.だから、戦後まもなく活動を始めた市川房枝さんなどと同時代の女性で臨時の「男女平等」と戦った人は悲惨な人生を送ったのですが、男性で言えば皆殺しにあっている段階です。

決して「良いこと」ではありませんが、「仕方が無いこと」であることは間違いありません.人間には成長期の心の悩みや病気、死亡などがあり、それらは明らかに「良いこと」ではありませんが、「仕方が無いこと」です。第一列目の男が皆殺しにあってきたのに、第一列目の女が悲惨な人生を送ったというのはある意味で当然でもあり、自分でよくよく考え、自分のプライドのもとで第一列を選んで死んでいったのですから.そのもっとも偉かったのがおそらくイエスという人(神?)だったでしょう.自分が正しいことを貫いて3年で死刑になりました.

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女性の活動が盛んになったもう一つの原因は「男にとっての農業機械、自動機械、女にとっての家電製品や自動車、ペットボトル」といった「技術の進歩」が上げられます.今から90年前、男性も女性も平均寿命は43才だったのですが、その理由は、男は田畑で力をふるい疲れ果て、女は家事、育児でヘトヘトになって、40を超えればぼろぼろな体で死んでいきました。

その後、工場や農業では自動機器が誕生して男性から辛い筋肉労働を取り去り、家電製品が女性を家事労働から救いました。社会の変化は日本のように変化の早い国でも100年はかかりますから、2050年ぐらいになれば女性の地位はほとんど男性と違わないようになるでしょう。

現在でもすでに女性の方が待遇が良い所もあります。デパートで1階から4階までが女性用の服や用品で、試しに5階を久しぶりに男性服と用品でスタートしたらやはり5階はだめでフロアーを半分に減らしたところがあります。消費生活では女性の方が恵まれているでしょう.

また、かつては母親も男の子を望んでいたのですが、今では母親が女の子を望む比率は男の子の2倍になり、父親でも男女が同数という結果になっています.これも母親が娘が十分に幸福な人生を送ることができると確信しているからに他なりません.すでに日本では男女は実質的に同じような待遇を受けているのかもしれませんが、まだバラツキのようなものは女性に大きいでしょう。

でも、この問題は男女で「どちらが得をしている」というような次元で考える事がナンセンスで、異性が幸福であるほど喜ぶということでなければ良い人生は送ることではなく、また男女は戦うものではなく、ともに助け合って楽しい人生を送るものと思います。

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そうすると、私たちが知らなければならないことは、「男女の違い」が重要だということをかみしめて、
1)男は女性が自分の考えと違う事は当然で、女性には女性の正しさがあると心の底から思う、
2)女性はあれこれとやることが多く、人生が単純ではない、
3)男女の違いを活かして一緒に暮らして2倍の人生を送る、
ということに尽きるでしょう.

「2倍の人生」とは、男女は全く違うものなので、一緒に生活をしてそれぞれの良いところを活かせば、2人がそれぞれ2倍の人生を送ることができるということです。自分自身を2倍にすることは難しいのですが、付き合って2人で楽しく人生をおくることは「違いがある方がよい」と考えさえすれば、容易です.

ところが、本来は違いがあるのに、お互いに「同じ事をしよう、同じになろう」としてギスギスした人生を送るということになると、自分の1人の方が良いのでまさに2分の1の人生になります。ポイントはただ一つ、それも実に簡単で「目の前にいる異性は、自分とは違う存在だ。その人と一緒に暮らせるのだから人生が2倍になる」と思うことができるかどうかにかかっていますのでしょう。

(平成24114)