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目的

この記事は福島原発事故後、1年半を経てその概要を放射線の人体への影響と、それに関する専門家の倫理についてまとめたものである。タイミングとしては、次のような状況を踏まえている。

1986年4月26日に起こったチェルノブイリの原発事故は「良心的」と言っても良いものだった。ソ連政府は「停電すると爆発する」という原発では余りに危険だと言うことで、停電したときの緊急訓練をすることになり、4月26日にチェルノブイリ4号機の運転を止めると同時に電源をすべて落とした. 計画されていた手順で停電後も原発が爆発しない作業をしている時に2つ間違いがして、爆発した.

それからというもの、世界の原発を運転している会社は停電の訓練ができなくなったが、2011年3月12日に起こった福島原発事故は運転中に起こった世界で初めての事故だったのである. また、チェルノブイリの事故と被曝が何を社会にもたらしたのか、未だに分からない。被曝初期の小児甲状腺ガンは10年ほどで治まったが、ベラルーシやウクライナのガン患者数は増加をしている。また両国の出生率は低下を続け、人口減少になかなか歯止めがかからない状態である。それらは被曝が原因しているのか、あるいは社会的なものなのかもまだ不明なのである.

日本においても福島の甲状腺異常の検診結果がかなりの高率になったこと、今でも空間線量率の測定が定まらないこと、除染が進まないこと、さらには食材などの不安が消えないことなど、チェルノブイリと同様の不安を国民に与えている。

 

1. 福島原発事故の概要と背景
世界の地震地帯は限定されていて、大西洋のような若い海(1億5000万年前に誕生した)は地震も津波も大きいものは観測されていない.これに対して地殻のひずみは太平洋西岸(千島列島から日本列島、フィリピン、ニューギニア、ニュージーランドに至る地域)に集中している.
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一方、原発は世界に430基ほどあり、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本が下の図に示したように三極を為している。従って、「先進国の原発」と言っても安全面から見ると、日本の原発だけが震度6の地震や津波に見舞われる状態にある原発であり、欧米の原発と大きく異なる.もともとヨーロッパやアメリカでは地震や津波がないのに加えて、原発が内陸に作られることが多く、川の淡水で冷却しているのでそれだけでもずいぶん安全に関しては異なる状態にある. 何しろ原発は高圧の電気を製造するところであり、それがさびやすく漏電しやすい海水の近くにあること自体が問題である。
フランスの原発は下の地図にあるように海岸線ではなく川の畔にある。
たとえばパリを流れるセーヌ川のパリより上流側に2ヶの原発があるので、パリを流れるセーヌ川には原発の廃液が流れている. また少し南にはフランスを分断するように東から西に流れるロワーヌ川があるが、その上流に13基、中流に7基の原発があり、この流域はワインの生産地として知られている. 日本では考えられないことだが、フランスで最も有名な農産物の一つであるワインの生産地の上流に原発を20基も運転している。「フランスのワインが美味しいのは原発の廃液が入っているからだ」というジョークの一つも言いたくなる.
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しかし、こんな事を言われてもフランス人は気にしない。もともと廃液が綺麗だから原発を運転しているのであって、日本のように危険と分かっているからへき地に作るなどと言う「まあまあなあなあの文化」はフランスにはない. 原発をその国の主力農業の産地の上流に作れば、「そっと原発から汚い廃液を流しているのではないか?」という疑問も発生しない。
原子力発電所というのは膨大な装置で放射線量としては広島原爆の約1000倍から1万倍ぐらいであり、今回の福島原発事故で漏れた放射線量は80京ベクレルと日本政府が発表しているが、これは広島原爆の放射性物質量の約200発分に相当する.
従って、原発というものは危険だからへき地に作ればその影響がないと言うようなものではなく、危険なら作ることができず安全でないと国内におけないような装置なのである。
日本では原発は危険とされているが、それは地震と津波があり海岸線に建設しているからで、まだ地震、津波のない土地に建設した原発そのものが危険であるかは不明である。たとえば、日本で原発を作る最も適した土地は琵琶湖沿岸だろう。この地帯は地震が少なく、琵琶湖には津波はなく、淡水だから塩水の冷却より遙かに安全である。
しかし、日本人は原発を琵琶湖に作りたくないと思っている。それは「原発は危険だから」と考えているからだ。もともと広島原発の1万倍クラスの原発を「危険だから」と思っているのに運転しているということ自体が異常に感じられる。

2. 放射線の人体への影響

放射線と人体の影響の内、特に1年100ミリシーベルト以下の低線量被曝については、医学的に明確ではなく、従って「環境基準」もまた定めるのが難しい.そこで、日本の法体系では二つの原則を適応している.
まず第一には「予防原則」であって、これは1992年のリオデジャネイロ・サミット(環境サミット)で国際的に合意した原則15である(RIO DE JANEIRO DECLARATION (1992)
原則15:「環境を防御するため各国はその能力に応じて予防的方策を広く講じなければならない。重大あるいは取り返しのつかない損害の恐れがあるところでは、十分な科学的確実性がないことを、環境悪化を防ぐ費用対効果の高い対策を引き伸ばす理由にしてはならない。」
国際的な協定の英語をさらに日本語に翻訳しているのでやや複雑な表現ではあるが、「重大あるいは取り返しのつかない損害の恐れ」のある場合「科学的確実性がないことを」理由にして、それにかかる費用を懸念して「対策を引き伸ばす」ことはできないと明記されている.
まさに福島原発事故による被曝という環境破壊に対して日本がこの国際的な約束を守るためには、法令で定める限度1年1ミリシーベルトを誠実に守ること、加えて「1年1ミリには科学的確実性がない」という理由を適応してはいけないことを示している. 長崎大学の医師は福島原発事故の被曝限度の検討会において「科学的厳密性がない」と言って被曝限度の法令を守ることを退けたが、これは国際協約違反である.
このように予防原則が長い歴史のうえで成立してきたのに、大臣が出席するような国の機関で予防原則に完全に反する議論がそのまま通るというのは「民度の低さ」と言っても過言ではないだろう。
第二に、日本の被爆の防止思想は、電離放射線障害防止規則の第一条に明記されているように管理者は「放射線をうけることをできるだけ減らすように努めなければならない」とされているように「被曝は健康に悪影響を与える」という前提に基づいている。この前提はICRP(国際放射線防護委員会)でも同一思想であり、「正当化の原理」と呼ばれている.
「正当化の原理」とは、人は被曝によって損害を受けるので、それに相当する「益」が必要であり、「損害=益」を基準に規制値を決めるという概念である. そして「被害がでない被曝量」と「我慢ができる被曝量」の2つがあり、前者が1年0.01ミリシーベルト、後者が11ミリシーベルトである。つまり放射線は有害なので、ゆえなくして近代国家の国民は被曝をしない権利があるという考え方である。
ここで確認しなければならないのは、「被曝は健康被害」というスタンスですべての法令や管理が行われてきたということである.事故後、俄に「被曝は健康に良い」という専門家が増えたが、被曝の最中にこのような発言が許されるのかについては議論を要する。
しかし、この制限があるのは「人工的に作られた医療以外の被曝」であり、慣用的には原爆実験による被曝は算入していない(本来は算入するべきと考えられるが、まだそれまで議論は進んでいない)。 ICRPの勧告は最近では1990年勧告と、2007年勧告があり、日本は勧告を受けて国内で議論し、法制化している。
つまり、被曝は以下の図の4階建てである。
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自然被曝は日本の場合、1.5ミリシーベルト、医療被曝が平均2.2ミリシーベルト(3ミリという調査もある)、核実験被曝が0.3ミリシーベルト、そして人工被曝(普通は原発など)は1.0ミリシーベルトとなっている. 図で分かるようにこれらの被曝量は「足し算」であり、たとえば「自然被曝が1.5ミリなので、それ以下は問題ない」というものではなく、1.5ミリに加える性質のものである。
また、事故時の被曝については日本政府の指導(原子力安全委員会指針など)があり、「1事故あたり5ミリシーベルトを上限」としている。1事故5ミリという制限は、たとえば原発事故の時に最初の1年に5ミリを被曝したら、その地から離れなければいけないという意味を持つ.
また、事故の被曝によって発生する疾病については、発がん死が通常時の0.05%を上限とすることになっており、日本では原発事故によって約150人の発がん死が限度であることになる.
このような事故時の被曝限度は、「放射線によって損傷した遺伝子などの被曝が、集団として消える被曝量と年限」で決まっていて、以下に示す図の関係にある. つまり、1000年に1回程度までの頻度なら11ミリシーベルト、それを超えて1万年に1回程度なら10ミリシーベルトとしている。これは国際的な検討に使われる図であり、日本の原子力関係者なら誰もが知っているものでもある。
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3. 専門家の倫理

現代社会はきわめて複雑で、そこに適応している技術も高度である。従って、それらの社会システムや技術を適正に行うために、社会が専門家を認定し、特別な権限を与えている.たとえば裁判官は死刑判決(殺人)、医師は足の切断手術(傷害)、そして教師は思想教育(思想の自由違反)をする職業的権利が与えられている.
しかしそれには国家を超える上位の命令者が存在することが必要となり、裁判官は「正義」、医師は「命」、そして教師は「真理」に忠実であることが求められる.つまり、著者のような学者と教師は「真理の神に忠実」である.医師で言えば野戦病院で治療にあたる医師は、敵国の兵士の命も助ける.これはきわめて異常であり、そばで同胞が命をかけて敵兵を殺そうとしている中でも、国家、上司等の枠組みを超えて、命令者に忠実であることが求められるからである。
その意味で、裁判官、医師、教師は反社会的になることがある。国家としてその命を救わなければならない人であっても法の下の正義のためには死刑判決をし、国家にとって殺すべき人物であっても、医師の手にあるときにはその命は延命される.
今回の福島原発事故にあたって、多くの医師がこの「医師の倫理」を逸脱した. 一つは前節の「被曝の4階建て」の図に示したように、医師がその権限を持っているのは医療被曝の2.2ミリシーベルトの部分だけであり、原発からの被曝の1.0ミリシーベルトは法令で定められる社会的な量だから、医師は口を出すことができない。もし医師がこの法令の規定に異議を唱えたら、医師に独占的に許されている医療被曝をも規制されることになる。
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医師が独占的に「靱帯を損傷する」と定義されている被曝を自らの判断でしうるのは、医師は患者の生命にたいして総合的な責任を持っているからである.つまり「被曝の損害より、命の損害が大きい」という場合のみに患者を被曝させることができるからである。福島に住んでいる健康な住民は命の損害と原発からの被曝の損害を比較することはできないから、医師は異議を申したてることは許されないが、医師で1100ミリまで被曝を認めるとして実際に言動をし、住民に半強制的に違法な被曝をさせている医師が目立つ.
先日、ある研究会で医師の先生に「医師会かしかるべき組織で、医療被曝以外で1100ミリシーベルトまで被曝を認める医師の医師免許返納を勧告するべきだが」という質問をしたが、日本文化の中ではそれは過激な言動に感じられるらしい。専門家は仲間内よりも公共的な見地に立たなければならない存在である。
第二の違反は、「政府の方針に従って、健康を害する(とされる)方向に進んでいる」と言うことである。先に述べたように医師の行動は反社会的である場合がある。今回の例では「福島からの大量の避難者がでると、日本が混乱する」という政治的決断があったとする.その場合でも、医師は個別の住民の被曝をできるだけ減らすことだけに専念しなければならないからである。
この医師の倫理は厳密に守らなければならない。戦時中に敵国の人を治療する、人を殺した犯人を治療する、自らの思想と違う人間の命を必死に助ける・・・などが医師の倫理の中心だからである.
第三の倫理違反は、医師は独自の治療はできないという基本原則にある。裁判官は自ら法律を作らず、社会に認められた法律に基づいて判決を下す. 仮に「窃盗しても死刑にしないと社会から犯罪がなくならない」という確信を持った裁判官がいて、1ヶのパンを盗んだから死刑ということになるのは社会正義に反する.これと同じように「安楽死は医療だ」とする医師が、回復の見込みのある患者を安楽死させることは認められない.
つまり、これらの専門家の言動は社会が認めた範囲に留まる。医学が進歩して被曝は健康を増進するとなる可能性もあるが、現在の法令で「被曝は健康に傷害を与える」としている間は医師はその判断に従わなければならない。研究者としての医学者が「被曝が進行していないときに限定して」自由な考えを述べることはできるが、その場合は、医師の免許を返納し、被曝が終わってからでなければならない。
ある高速道路を運転中の運転手に「この道路の制限速度は80キロだが、私は専門家だから危険性が分かるが、時速140キロまで大丈夫だ.違反しなさい」とアドバイスすることはできない。しかし、制限速度検討委員会では学術的根拠を述べて、制限速度の改訂を進言することはできる。専門家といえどもTPOがあるということだ。
しかし、原発事故と倫理に関しては法令を遵守しなかった政府や自治体、自らの学問的知識を正確に伝えなかった原子力関係の専門家、それに事故の当事者となった電力会社など多くの問題点を残した。特にその中で、電力会社は下の図にあるように、1990年から法律で120ミリの被曝の許可を得ているにもかかわらず、11ミリで自主規制していた。
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それにも関わらず、自らの事故で被曝した一般人や子どもたちに対して、11ミリを守るような言動を取ってこなかった。このように事故による日本の専門家の脆弱さが表面化したのも特徴的であり、今後の研究を要する。
専門家の倫理としては、201210月にイタリアの地震予知に関する第一審判決で、「地震は来ない」とした専門家6名に対して過失致死罪で禁固刑が言い渡されたことを考察する必要がある。先の図に示したように、「学問的分野の専門家」は二種類に分かれ、学者としての言動は社会との直接的な関係を持たないので、倫理関係が生じないが、図で示す裁判官、医師、教師のような専門職の場合は言動に倫理関係が生じるので、法律的に罰せられることもある。社会が安楽死を認めていないときに、医師が独断で安楽死を施せば罰せられる。
それでは地震学者が国の委員会で発言する内容には倫理は発生しないかというと、委員会に単に呼ばれて「委員の一員ではなく」発言する場合は学問の自由や表現の自由の範囲内であると考えられるが、委員の一員であり、何らかの決定権を持ち、その決定が社会に直接的な影響を持つ場合は倫理問題が発生すると考えられる。
たとえば、中央教育審議会で「ゆとりの教育」について発言し、その後、短期間でゆとりの教育が失敗した場合、そこで発言した教育専門家はなんらかの責任を取る必要がある。しかし、決定権、あるいはそれに準じる力を持たない場での発言は自由であろう。今回の一連の原発および被曝に関する言動で、公的な地位にあり、また公的な委員会などで11ミリ以上の被曝の増加を勧める発言を行った専門家は、被曝による患者が発生した場合は、過失傷害罪で逮捕されるのが妥当であろうと考えられる。


以上、2011年におきた福島第一原発の事故とその後の被曝について、被曝に焦点を当てて整理をした。大事故はさまざまな社会的問題点を鋭く切って私たちの前に示すものであるが、それを教訓にするかどうかはその社会に構成する人の見識に依存している.

4. 参考文献

●主たる関連法令通達など

1. 電離放射性障害防止規則、(201110月改訂)、厚生労働書所管

2. 放射性同位元素等による放射線障害防止に関する法律ならびに施行令、施行規則、(201010月改訂)、文部科学省所管

3. 原子力安全委員会の指針、基準類(たとえば、「原子力施設の防災体制について」、(昭和556月。平成228月改訂)、原子力安全委員会など多数)

4. 事故報告には国会の事故報告などがあるが、いずれも政治的な配慮が多く、学術的な参考にはならない

 

●関連論文の内、事故後の報告

1. K.Ozasa, et.al., “Studies of the Mortality of Atomic Bomb Survivors, Report 14, 1950-2003: An Overview of Cancer and Noncancer Diseases”, Radiation Research, 177,, (2012) 229-2432.

2. Hiyama, et.al., “The biological impacts of the Fukushima nuclear accident on the pale grass blue butterfly”, Nature com. BoneKEy report, (09 Aug. 2012)


●著者の書籍など

1. 「放射能と原発のこれから」(KKベストセラーズ、2012)、

2. 「放射能列島 日本でこれから起きること」(朝日新書、2011)、

3. 2015年放射能クライシス」(小学館,2011)、

4. 「全国原発危険地帯マップ」(日本文芸社,2011)、

5. 「チェルノブイリクライシス」(竹書房,2011)、

6. 「原発と、危ない日本4つの問題」(大和書房,2011)、

7. 「子どもの放射能汚染はこうして減らせる」(竹書房,2011)、

8. 「子供を放射能汚染から守り抜く方法」(主婦と生活、2011)、

9. 「放射能と生きる」(幻冬舎、2011)、

10. 「エネルギーと原発のウソをすべて話そう」(産経新聞出版、2011

 

以上