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もう、今から20年以上前のことだが、アメリカ上院がはじめて「CO2による気象変動(温暖化ではない)」を取り上げたとき、それに飛びついた人たちがいる。それがゴア元副大統領やサッチャー首相だった。

その頃、原子力はスリーマイル島事故やチェルノブイリで反対運動が強くなんとかそれを打開しなければならなかった。ところが降ってわいたように「温暖化恐怖」がでてきた。それまで「寒冷化対策」を行ってきたアメリカ、イギリスなどは急速に方針を転換、温暖化を政策の中心に持ってきた。

その目的は、「原発より怖いものができる」という期待だった。それから20年。私が原子力委員会の研究開発部会にいて「温暖化するとなぜ原発は安全になるのですか」と3回、くり返して発言を止められていた。

まだ当時「安全な原発を何とか作りたい」と考えていた私は、温暖化で原発反対運動がなくなり、大規模な原発増設計画が動いていた。しかし原発は相変わらず危険な状態だった。危険なまま、温暖化が怖いという世論にのって原発増設計画が進んでいたのである。

1)温暖化は1980年代のアメリカ農業の策謀だった、
2)だから温暖化と言わずに、気象変動と言った、
3)それに原発利権が乗った、
4)アメリカやヨーロッパが環境のために自国の利益を犠牲にするはずもなかった、
5)日本国内も温暖化の3兆円利権に群がった、
6)その結果、原発を上回る恐怖が社会を覆い、原発反対がなくなった、
7)原発は危険なままだった、
8)そして事故が起こる。

「節約」も一見美徳だった。「温暖化防止」もあたかも未来の子どもたちのためのようだった。でも、いずれも利権派に蹂躙され、無残な結果をもたらした。法律より「倫理」が大切なのだろう。

(平成241014日)