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あれは私が30才を少し過ぎた頃ではなかったかと思う。その頃、私は研究所にいて小さな研究グループを持つようになっていた。人数は14人ほどだった。

あるときに、そのうちの数人と東京の品川に朝の9時に待ち合わせて、どこかに行く用事があった。私はリーダーでもあったので、8時半頃には品川の待ち合わせ場所に着いた。

それから程なくしてボツボツとみんながやってきて、9時までに大学卒を除いて集合した。さらに5分遅れで大学卒、15分遅れで東大卒が来た。そして5分遅れた人は5分分の、15分遅れた人は15分分のいいわけをした。

その時、私はそのいいわけを聞きながら「ああそうか、人間というのはいいわけができる時間だけ遅れるのだな」ということが分かったのである。つらつら考えてみると、30分前に最初に来た人から最後の15分遅れまで、驚くべき事にほぼ「研究能力に反比例していた」のであった。

つまり、研究能力がほどほどの人が最初に来て、だんだん優秀になり、最後にもっとも優れた研究者が来たのだ。

人間は生物の一種だから、自己を防衛しようとその力を発揮するのは当然である。そして動物なら腕力や牙が勝負を決めるが、人間は頭脳で優劣が決まる。ということは頭脳を武器にして自己防衛に走るのは動物としてまともかも知れない。

研究能力がもっとも上だった東大卒の私の部下は「遅れても言い訳ぐらいできる」と考えて、一番先に来た人より45分も後に下宿を出たのだろう。

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このことがあってしばらくして、私は「遅れず」という言葉をモットーにし始めた。ながいおつきあいをしていただいている私の先輩は「武田先生より先に来るのは至難の業だ」と言われ、講演会ではご担当の人に“あまり早く講演会場に来すぎてご迷惑をおかけしている”。

人と待ち合わせるときに、日常的なこと、たとえば講義や待ち合わせ、会議なら1時間前、講演会、披露宴やスポーツなら2時間前に到着するようにしている。

どんなことがあっても「絶対にいいわけをしない」と決意すると、これが案外、難しい。時によっては新幹線が遅れることがあるし、意外な事故渋滞に巻き込まれることもある。それでも「遅れず」を守るのは大変だ。「新幹線が遅れましたから」といういいわけはしない。

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人生は小さな損得を考えて大きなものを失う。自分の頭脳を保身に使って大切な人生を失う。

でも、小さな損得より誠意、頭脳を保身に使うよりデディケーションと思っても、実はやれることはそれほど変わらない。人の信頼を得ることができるが、それより自分の気持ちが楽だし、時の流れに透明感を感じる。

このような生活を続けるためのテクニックもある。

たとえば3時に待ち合わせがあって、そこまで30分とする。普通には電車の時間などを見て、35分ぐらい前(225分)にでて、電車に乗り、歩く。でも、電車が少し遅れたら汗だくになって走り、いいわけをしなければならない。

私は1時間30分前に出る。そして、もし大学や家にいたら130分から225分まで家で時計を見ながら仕事をするのではなく、とにかく130分にでて、先方についたら喫茶店やどこかのベンチで「大学や家にいるとしてやる仕事」をそこでする。つまり、早く家をでても、時計を気にしながら家で何かをやっても、あるいは大学を出る時間をはかっても、結局の所、自分の人生でやることはほとんど変わらない。

でも、少しは工夫している。たとえば「読みたい本」や「携帯電話の整理」、「パソコンに入れた音楽や解説」など、「どこでもできる」ことを少し「貯金」しておく。これも慣れるとほとんど自動的にできるので、意識は特にしていない。出かけるときにいつでもできることの道具をカバンに入れておけば良いだけである。

いわば「遅れず」を実行するために必要な蓄えとも言える。人生は「原理原則」や「大義名分」もあるけれど、それだけに余り偏ると「実施」が難しい。単なる大言壮語になってしまうので、細かい細工や準備も必要だ。それを小道具に使う。

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今日も福島県から、「いかにして健康診断結果を隠すか」というのに腐心していたニュースが流れていたが、人生というのは何をしてもあまり変わりがないような気がする。それなら気持ちよく透明感をもって過ごしたものだ。

(平成24103日)