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若い頃、会社の技術者だった私は比較的、会社が自由に活動させてくれたのですが、それでもいろいろな制約があり、特に「知的な活動」をしたい、「専門の違う人と学問の話をしたい」という思いが強く、それもあって40歳代の終わりに大学へ移りました。

でも、その期待は半分も実現せず、大学で利権や「役に立つ研究」などにもまれ、不満が残る大学生活でした。でも、先日、長野県上田市の長野大学で講演をした後、教員の方との意見交換の場を作っていただき、本当に久しぶり・・・10年ぶりぐらいでしょうか、レベルの高い知的な議論をさせていただき、とても快適な日を過ごしました。

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長野大学は地域の人がお金を出し合って作った伝統のある私学ですが、経営は途中で変わっているようです。今でも地元とのつながりは深く、講演会にも多くの市民の方が来られ、質疑応答も盛んでとても良い雰囲気でした。

大学の使命として「知の創造(研究)、知の伝達(教育)、知の発信(社会)」がありますが、まさに学究的雰囲気の中で知の発信と知の創造がある程度、できたような気がします。大学の雰囲気や教職員の方のレベルの高さもありますが、それに加えて上田市という場所が醸し出す文化的雰囲気が寄与しているのでしょう。

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もっとも印象的だったのが経済学をご専門とされる学長から、
1) 科学の意義として「鍋釜」と「闇を照らす」という二つがあること、
2) 学問的議論と価値観の区別、
について教えていただいた事です。もし、今の日本に長野大学の学長が言われたことが少しでも浸透していたら、地震の被害、原発事故、そしてその後の被曝も緩和されていたと思いました。

科学はまず「鍋釜」を作ります.現代風に言えば「自動車」でしょう。かつては急に熱を出した子供を負ぶってお母さんが必死に吹雪の中を病院に走らなければならなかったのですが、今では暖房の効いた車で子供を連れて行けるようになりました。これが「鍋釜」です。

もう一つ.かつて災害が起こると一人の魔女の責任にして、そこら辺のおばさんを連れてきて火あぶりにするというのが普通に行われていました。迷信、生け贄などがなくなったのは、科学が「人間の心の闇」に光をともしたからです。

また、議論の中には「学問的論理的側面」と「価値観」があり、人間から価値観をとることはできないこと、しかし議論の時には価値観を後退させて、学問的論理的な議論に終始すべき事も教えていただきました。赤面の思いでした。

長野大学でのディスカッションを終え、先生方と楽しくお酒を酌み交わしてホテルに入ると、私はそれまでの「専門家の系統図」にあるヒントをいただいた事が分かったのです。

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今まで私が使っていた系統図がこれです。一番上が学問(科学)の真なる目的で、私はこれを「命令者」と言っていました。そして、法学には「正義」が、医学には「命」が命令者として存在するのに、科学技術には明白な命令者がないことに苦しんでいたのです。

研究会では「福利」と書きました。かつて「便(便利)」、「真(真理)」などと書いたこともありました。そして、今、私が書き直して、科学の命令者には「明」、技術の命令者に「楽」という字をあててみました。

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少しは良くなったように思えます。科学者は人間の心の闇に光を当てるための灯を求め続けることができますし、技術者は自動車に代表されるように辛い人を楽にすることを専ら(もっぱら)にできるからです。

そうすると「エセ科学」はすぐ見破ることができます。たとえば「地球温暖化」なる科学は人を脅し、闇を広げるものですから、科学の活動ではありませんし、原発は人を苦しめるものですから、これも「経済」かも知れませんが、「技術」ではないようです。

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なにはともあれ、初秋の一日、爽やかな上田の空気に触れながら、学問のひとときを過ごすことができたことに深く感謝することができました。

上田駅に到着してから事務の方にはなにから何まで御世話になり、講演会が始まると学生や地元の人から活発に質問がでましたし、研究会の先生方との会話も記憶に残るものでした。

(平成24930日)