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少し前、私は色紙へサインを頼まれると、「昨日は晴れ、今日も朝」と書いていました。最近では「今日も朝」しか書かないことも多くなりました。

「昨日は晴れ」・・・人間には辛い過去があります。それはよほどの人で無い限り、過去に辛いこと、思い出したくないこと、ヘマをしたことがあります。そして時にその記憶が思い起こされてうなされます。

私も小さい頃、体が弱く、気が強く、ヘマばっかりしていました。今、思い返すと赤面し、大声を出したくなり、人生がイヤになることがあります。

でも、今の私はそうではありません。「昨日は晴れ」と信じ込んでいます。つまり昨日が嵐であっても、豪雨であっても、寒さで凍えそうになっていたとしても、次の日には「昨日は晴れだった」と思うことにしています。

大爆発によって宇宙が誕生して以来、時間は先に進むけれど前には戻りません。これは確かなので、昨日はあるようですでにないものなのですから、昨日は自分の記憶に残っているだけです。だから「嵐」と思えば嵐、「晴れ」とすれば晴れなのです.それなら昨日は晴れと思おうと私は考えます.

大学受験に失敗したことも忘れてしまう、彼女と別れたこと、お金を無くしたこと、大失敗したこと・・・すべては教訓だけを残して記憶から捨ててしまいます。捨てることができるコツは「昨日は帰ってこない」と言うことを実感することです.

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そして、「今日も朝」です。

「時」という性格上、「過去」というのは存在したのですが、「未来」というのが来るかどうかはわかりません。もしかすると昨夜、ベッドについたのがこの宇宙の終わりの時かも知れないのです。

物理学者はまだ数10億年はあると計算していますが、それは単なる計算で未来は作り続けられているものです。つまり未来は来るかどうか分からないものでもあります。

まして人間は宇宙に未来があっても、今日で終わりになるかも知れません。この二つのことを考えると、朝、目覚めることができたというのは僥倖でもあります。だから、朝起きたとき「ああ、今日も朝が来たな。さあ、今日一日、楽しくやるぞ!」と決意するのです。

人には自分でできることと、向こうから来るものがあります。自分でできることの典型が「今日一日を過ごす」ということで、向こうから来るものの典型は「死ぬ」ということです。私たちはこの間でもがいているように思えます。

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昨日は晴れていて、今日に朝があれば、それで充分です。そして長期的な目標に到達するのは難しいのですが、今日一日、生きることぐらいは何とかできそうな気がします。

(平成24919日)