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消費税を10%に上げるというのは政策の大転換である。2009年に民主党に投票した人の多くは「増税無き財政再建」を支持したし、野田首相みずから選挙演説では「増税は絶対にしない。口で言ったことでも守らなければならないが、紙に書いたのだから絶対だ」と言った。

それを増税したのだから、これほど民主主義、選挙制度を愚弄したものはない。本来、批判的な論陣を張るべき新聞は「新聞だけは増税を免れる」という通知を財務省筋からもらい、増税賛成に転向するという、あり得ないことをした。

「増税するなら選挙で国民に問わなければならない」と言う声もあったが「選挙すると負けるから増税できなくなる」という理由をおおっぴらに表明して国会で採決した。

もしも、「法の精神」を最も大切にする裁判官がいたら、増税の採決は無効との判断を示すだろう。「選挙の時の公約を無視し、選挙したら負けるから国民に問わない」というのは、明らかに違法行為である。最近の裁判は「国民の良識」ではなく、「法曹界の特殊用語」を使うので、「違法行為の成立要件」なるものが出てくるが、法の前に社会がある。

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原子力の安全性を審査する原子力規制庁の人事・・・国会で決めようとすると批判が多く議決できないので、国会が開かれていないときに政府が任命すれば良い・・・という超姑息な方法で原子力規制庁の人事が決まった

自らに誇りのある日本男児なら任命を断るだろう。このような姑息な政治的トリックの中で委員に選ばれても、軽蔑されるだけだ。でも委員の顔ぶれを見ると、事故の前と後とまったく違う事を言ったり、事故の時にNHKで間違いばかりを発言したり、原発は絶対に事故をおこさないなどと言っていた人がずらっと並んでいる。

「国会では任命できないから、閉会中に特例で任命する」というのは、「選挙をやると負けるから、選挙をしないで権力を使う」というのと同じで、詐欺の一種だ。これが詐欺と感じられないのは、日本社会のスタンダードがかなり汚れているからだろう。

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日本国憲法の前文には、民主主義や国民の権利、平和などは私たち国民の不断の努力で獲得でき、続けられるものと書いてあったと記憶している。「選挙したら負けるから、このまま政権に」とか「国会で反対されるから休会中に」というような民主主義に反する行為は徹底的に糾弾しなければならない。

すでに新聞やテレビはその機能を発揮できないので、国民の不断の努力をなし得る媒体はネットやデモ、投票行為になるが、私は「どの政党を支持するか」という問題と「次回の選挙では民主党に投票できない」というのは次元が違うと思う。

党首選挙で野田首相が再選されなければ、すこしは信用を回復したと思うけれど、野田代表が再選された。ということになると「民主党」という政党自体は、もし日本が民主主義なら存在しない政党であると考えられる。

つまり「違法性のある政党」で、その違法性は民主主義の基本を逸脱しているので「賄賂」より悪質である。ここをハッキリさせておかないと、原発の誤報も、尖閣の情報隠しも、日本国民はすべてを失う可能性がある。すべては国民の意思次第だけれど。

(平成24922日)