近来まれに見る衝撃的な発言を中部電力課長がして以来、1ヶ月以上が経ちました。「福島原発事故と言うけれど、死者がいないのだから事故とは呼べない」という趣旨の発言は、さまざまな日本の根底にある問題点を明らかにしました。
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まず第一に、学校で成績が良く一流大学を出た人がこのような発言をするということは「教育の失敗例」でもあります。もともと原発事故というのは「即死」はほとんど無く、「5年後から犠牲者がでる」という性質のものです。このようなものは、「発がん物質」、「中皮腫の原因となるとされるアスベスト」、「水銀を含んだサカナ」、「エイズウィルスが入った血液製剤」など多種類あり、これらは社会的に決して許されるものではないのですが、1年以内に死者がでるものではありません。
そんなことを中部電力の課長に教えなければならないとしたら、中部電力自体が危険な会社ということになります。
でも、この課長は人間としては教養があり、礼儀正しいかも知れないのです。このことを先日「日本人は個人では立派でも組織の中では豹変する」という人がいましたが、もしそれが正しいとしても教育の失敗です。
今の教育は集団性を重んじていますが、それは「社会的に悪でも組織に合わせる」ということを先生が教育しているとしたら、これもとんでもないことです。教育基本法にあるように教育の基本は「正義を愛する人物」を育てることです。いじめの問題も同じ背景を持っていますが、教育現場でより強く「正義」を守る強い心を持った子供を育ててもらいたいと思います。
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第二に、中部電力は電力を使ってくれる国民が不安に思っている原発を強行しようとしているのでしょうか? それは政府が5000億円もの税金を原子力発電に提供しているからで、政府の決定は国民の意思でもありますから、国民が原子力をやってくれと言っているとも言えるからです。でも、それは形式的ないいわけに過ぎません。もし、電力が「自らの社会的責任」を重んじれば、浜岡原発を再開したいとは思わないでしょう。
事実、名古屋で行ったテレビ局の調査では、「冷房を我慢しても原発は再開したくない」という意見が70%もあったのですから、それにも触れる必要があります。「なにをそんなに意固地になっているの?」と言いたいぐらいの電力の固く、お役人のような顔にはビックリします。
私の長い原子力関係の経験では、国、東大教授、電力会社の幹部は、ほぼ全員「国民はバカだ。原子力が必要であり、安全だと言うことを知らない」と思っています。そして事故が起こっても「安全だ」と錯覚しているところが奇妙に感じます。
これも教育の失敗かも知れません。いくら何でもあれだけの事故を目の前にして、多くの人が苦しんだのです。爆発当時、寒さに震え、逃げ惑い、どうしたらよいか分からなかった精神的苦痛は「放射線が怖いかどうか」などとは関係のないことで、目の前で原発が爆発し、幼い子供を抱えていて平気という人が居たらその人の方が常識外れだからです。
そして、電力が20年来、自らの従業員の被曝を1年1ミリにしてきたことからも、医師がレントゲンを撮るときに自らが鉛の側室に入ってスイッチを押してきたことも、いずれも国民に「被曝は危険」とのメッセージになっていたのです。人間の心は電力が事故を起こしたからという理由だけで急激に「被曝は安全」などと変化するものではありません。
これも電力会社はまだ理解できないのです。政府も、東大教授も、そして一流大学を出た人で構成される電力幹部も理解力が低いということになると、やはり教育の欠陥と言わざるをえません。
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私はこの発言に衝撃を受け、しばらく「原発以外のことは言わない方が良い。あの事故が事故でないという人が居なくなるまで」と思いました。そして1ヶ月、少しは気を取り直してきたのですが、おそらく中部電力は「反省」をしていないでしょう。おそらく「自分たちが正しい」と思っているでしょう。その間は、中部地区の人は自らの意思を示し続けないと元に戻ってしまうとおもいます。
この発言は「電力会社は福島程度の事故が起こってもかまわない」と心の中で思っていることを示していますから、私たちは緩めることはできません。表面では「安全に注意している」と言い、裏では「爆発しても良いじゃないか」と思っている状態がもっとも危険だからです。
(平成24年8月31日)