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毎年のように梅雨の終わりには豪雨被害が続き、そのたびごとに「記録的な」とか、今年は「過去に例の無いような」という修飾がつく。

日本人は忘れやすいと言われるけれど、「記録的」、「過去に例がないような」と言われる豪雨、たとえば今年の九州の豪雨はちょっと前の諫早、長崎などの雨に比較して、たった「2分の1かそれ以下」である。

でも、なぜ、それをNHKは報道せずに、被害に遭った人をテレビに出して「私の人生で初めてですね・・・」と語らせるのだろうか? これには国民が知らない大きな策略がある。

毎年、「記録的な」豪雨が降り、被害と犠牲者が出る。そして、国土交通省は「旧に復す」と言って元の危険な地形に戻し、気象庁は「定量的な数値を曖昧な表現にして防災ができなくする」という方向に熱心で、いつまで経ってもコンピュータによる予想を詳しく出して防災と提携しようとしない。

かくして毎年、被害がでると「旧に復し」、またしばらく経つと同じ規模の豪雨で工事をして儲け、そしてまた「旧に復す」事を続けている。つまり、旧に復するというのは「また災害に遭う」ということだが、その方が好都合な人が多い。人の命よりお金なのかも知れない。

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このところ、すこしなりを潜めているが、「外来種の排斥」が盛んだったことがある。日本というのは大陸から少し離れているので、歴史的に見ると、時々外来種が入ってきて日本に定着する。オーストラリアやガラパゴス諸島ほど離れていないので、日本に完璧に独自の生物が住んでいるという訳でもなく、完璧に外来種と交配しているわけでもない。

それが日本列島の生物の多様性を産んでいる。食材でも、キャベツ、サツマイモ、唐辛子・・・外来種ばかりだ。また、日本の紅葉が世界でも色鮮やかなのは適当な外来種が入っているからである。

外来種というのは排斥できない。もしその種が日本の気候風土に合っていて競争力が強ければ残って、2,300年経つとすっかり「日本の生物」になる。だから生物学的には問題はない。このことは生物学者にも確認してある。

ところが、外来種排斥で一儲けしようとする人たちがいる。「日本で競争力のある」外来種に目をつけ、「駆除しなければならない」という世論作りをして、外来種排斥補助金を獲得する。実に巧みで、数年ごとにかなりのお金をせしめて外来種を駆除する。でも100%の駆除は行わない。100%駆除すると一回しかお金をもらえない。だから90%駆除する。

そうすると残りの10%がまた数年後に100にふえるので、また駆除するための補助金をもらえるというわけだ。

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豪雨被害とかけて外来種排斥と解く、その心は「金」。

だから、これは科学の問題ではない。科学の問題ではないものを科学教室に持ち込むことが学校ではやっているけれど、やはり科学教室は科学の心で進めたいものだ。

(平成24818日)