日本人の多くが「新しいエネルギーが必要」と信じている。実は今から30年前の私も同じで、「石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料」がそのうち無くなると錯覚していたからだ。
私がエネルギー分野の研究をするようになって、化石燃料が数100年でなくなることはなく、人間が使うエネルギーというのは1000年と言わず、300年ぐらいでガラッと変わるので、現在の知識で余り考える必要が無いことが分かったのは、30年前だった。
どんなに悲観的に見ても(世界の鉱山の常識と各国政府の政策から見ても同じだが)、化石燃料は数100年はある。もちろん、生活の中で普通に使えるような値段で得られるもので、2009年から本格的に掘り出したシェールガス(本当の意味の天然ガス)などは寿命数1000年、値段3分の1と予想されている。
値段が上がらず、数100年は持つ化石燃料があるのに、世界で日本だけが省エネ、節電、それに新エネルギーに熱心だ。世界の情報から隔絶された日本を感じる。世界の石油系の企業は「メジャー」、「スーパーメジャー」と呼ばれるぐらいの大きな会社で資本力もある。もし、石油系の燃料が短期になくなるのだったら、これほど悠々としているだろうか?
アメリカや中国の政府もそうだ。あれほど大きな国だから、エネルギー政策やもし温暖化などが大変だったら、国はつぶれてしまうだろう.それなのに、形式的には少しやったり発言したりしているが、本格的に代換えエネルギーの政策を進めたり、ましてCO2を減らしたりしていない。
これに対して日本の識者は「それはメジャーも、アメリカや中国もバカだから」と言うけれど、本当にそんなに簡単な結論を出して良いのだろうか?
40年前は原子力発電は実質的になかった。100年前にやっと石油を使い始めた。石炭を燃料に使ったのは200年前だ。だから、安い化石燃料が200年持てば、エネルギー資源のことは専門家に任せておいて、普通の人は生活をエンジョイすればよい。まして「足りない」と言われる税金を使って新エネルギーとか太陽光発電にお金を投じる必要は無い。
技術にはある経験則がある。基礎的な研究を始めて40年経っても実用化(既存の技術を凌駕するような状態)にならないものは有望ではないということだが、太陽光発電は基礎研究は長く、今から40年前にサンシャイン計画という膨大な税金を投入して国家プロジェクトを始めている。
だから、今更、太陽光発電がキロワット時で42円もするなら、技術として成功する見込みが少ない。でも技術のことだから思わぬブレークスルー(新たな着想による画期的技術の出現)があるかも知れない。でも、それは国家のお金を投じればできるというのではなく、むしろ、お金を投じると新しい技術は誕生しない。
技術の本質、世界の動向、人間の進歩など大きい目で一つ一つのことを判断するのも大切なように思う。
(平成24年8月18日)