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震災瓦礫問題で多くの友人を失った。私にはにわかに信じられないことだが、「規制に違反しても震災地を救うべきだ。瓦礫を引きうけないとは日本人として恥ずかしい!」と激しく言う友人に唖然としたものである。

今、オリンピックで環境省と日本オリンピック委員会が「瓦礫バッジ」を作って、子供達を使って選手に配ったと言うことで問題になっている。そこには「日本のすべての人の力を一つに」とある。つまり、日本人なら震災地からの瓦礫の搬出に協力するべきだということを外国に訴えている。

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日本人は「瓦礫搬出」に反対している訳ではない。「規制を超えた放射性物質を含む瓦礫の搬出」に疑念を示しているだけだ。つまり、「国が法律を破れといっても善良な国民は規制を守りたい」と言っているだけで、これをすり替えてあたかも「汚染されていない瓦礫の搬出に反対している。ヒステリーだ」と叫ぶ政府、環境省、そして私の友人はどういう意味だろうか?

同じ言動だが、おそらく政府関係者は「嘘つき」で、友人は「無知」なのだと思う。そう考えないとつじつまがあわない。

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国の規制は、格別の注意を払わずに持ち出せる瓦礫は1キログラム100ベクレル以下である。それに対して201110月に環境省が示した持ち出し基準は240から280ベクレル以下(環境省廃棄物対策課)である。

細かいことを言えば、・・・以下という時には幅を持たせてはいけない。240から280ベクレル以下というと、260ベクレルは片方では違反、片方では合法ということになる。実に曖昧で奇妙だ。

実は1キロ100ベクレルが決まったのは、つい最近(原発事故の半年ほど前)であり、その決定は日本の放射線被曝に関する主要なメンバーが参加している。

 

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この表は委員のリストだが、メンバーの中には今話題の原子力規制委員会委員候補の中村佳代子さんや、首相補佐官だった小佐古先生などが居る。



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そこで承認した基準は、対象物がこの表に示したように、コンクリート片、燃え殻、煤じんなどであり、セシウムの場合、1キログラムあたり100ベクレルと明示されている。

環境省は規制を超えた1キログラムあたり240から280ベクレルの瓦礫を地方自治体に運搬し、それを焼却したときの燃え殻の基準を8000ベクレル以下としていたが、さらに20127月に10万ベクレル以下に上げる。

放射線を取り扱う特別な施設でなくても、処理して良いレベルが1キロ100ベクレルだから、8000ベクレルとか10万ベクレルというのはまったく論外だ。とくに、「放射性物質」として慎重に取り扱うことが決まっているのは「1キロ1万ベクレル」で、これを超えた物質を取り扱うと「犯罪」になる。環境省は国民に犯罪を強要している。

また、「薄めることで規制をくぐる」というのは、規制を「骨抜き」にすることだから、国内法の精神に反し、国際的な約束違反である。この「希釈禁止合意」については法律の精神から当然のことで、「希釈すれば良い」ということであれば、1キロ1万ベクレル以上のものでも太平洋に捨てれば希釈されるからOKということになる。

すでにこのことはドイツ放射線防護協会からもクレームがでている。この協会は日本人全部に呼び掛けていて、日本人のミスで漏れた放射線によってドイツ人が2次被曝するような事が無いように、法の精神を守って欲しいと訴えている。国際的にも恥ずかしいことだ。

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つまり、この瓦礫の問題は「順法精神・国際的約束」を持った善良な日本国民が従うことのできないような違法行為を強要し、それに従わなかった国民を「非国民呼ばわり」するという問題である。

これほどハッキリしている間違った行為を、政府、官僚、識者がこぞって「正しい」とするのはきわめて不思議である。仮に、非常時の立法というものを計画しても、それが従来、日本国民の健康を守るために決めた数値となぜ異なるのかについては説明を要する。

福島原発から漏れた放射性物質は80京ベクレル(政府)から100京ベクレル(東電)であり、これは日本中に拡散したら日本国土に誰も住めなくなる量である。だから、事故前より瓦礫などで放射性物質が拡散するのをできるだけ防ぐのが政府の役割であり、違法基準を強要するということは考えられない。

チェルノブイリ原発事故の後、ソ連政府はキエフから大型バス1100台で付近住民の避難にあてさせた。福島の事故でも避難しなければならない地域は広範囲だったのに、政府はバスも出さなかった。

瓦礫の問題は「バスを配車しなかった」という政府の精神状態と共通点があるように感じられる。国民に対する背信行為を続ける政府をなぜ、私の友人や識者が支持して、不安に感じる善良な国民をバッシングするのか、それがオリンピックに及ぶのか、古い迷信的で野蛮な国家に住んでいるようだ。

(平成2488日)