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原子力の研究で良くフランスに行っている頃だった。ホテルに行くとどこでもスリッパがおいていない。このことはフランスばかりではないが、パリのホテルは宿泊代が高いので有名で、若い研究者が泊まるような安ホテルでも当時2万円、3万円として財布はいつも大変だった。そんなホテルでもスリッパ一つおいていないのだから、これは単なる節約の問題ではなく、正しく置いていないのだ。

部屋について着替えをし、シャワーに入ってさっぱりする。なんと言っても長旅のあとは何かからだがベトベトしているので、シャワーに入らないと次の行動に移る気がしない。

私は日本人なので、シャワーを出るときには念入りに体を洗い、どこにもシャンプーの泡がついていないかを確認する。かつてアメリカの大学の寄宿舎に泊まったとき、アメリカ人が体についている泡を流そうともせずにタオルでふいているのを見てびっくりしたことがあるけれど、ずいぶん、違うものだ。

それはともかく、シャワーからでようとするとスリッパがないことに困窮する。下着を着るためにはベッドまで行かなければならないが、その前に先ほど汚い靴で歩いてきた絨毯が横たわっているのである。

それは日本からの長旅で、ヒコーキの中のトイレも決して綺麗とは言えなかった。その靴で歩いた絨毯を綺麗になった素足で横切ることができないのだ。

かくして私はつま先立ちになり、小走りでベッドまでたどり着くと、ゴロッとベッドの上に身を投げ出し下着を着ける。いやはや面倒なものだし、みっともない。

余りに不思議なのであるときに欧米人に質問したことがある。「ホテルにスリッパがないのですが、シャワーを出た後、どうしているのですか?」私のこの質問に対して、意外な質問を返された。「えっ?!足の裏のばい菌がなぜ膝まで上がってくるんですか?」

私は絶句した。もぐもぐ・・・もぐもぐ・・・。確かに絨毯に上を歩いてもばい菌は足の裏にしかつかない。それが膝まで上がってこないと病気にはならないだろうけれど、どうしたら膝まで上がってくるかを説明するのは至難の業だ。「えーと、ベッドで・・・」などとかなり凝ったことを考えなければならない。

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フランス人に限らず欧米人は日本から見るとなかなかやっかいな人たちで、なにしろ理屈っぽく、プライドが高い。一筋縄ではいかない。その点では日本人は「まあまあ、なあなあ」だから非科学的なことでも、非論理的なことでも堂々と通ってしまう。

今回の原発事故がフランスではなく日本で起こったのは、単にフランスには地震や津波がなく、日本は震度6以上の地震に見舞われるからということだけではなく、もっと基本的な民族の論理性などに原因がある。

たとえば、1年に4500億円もある原子力予算をあれほどの事故が起こっても福島の救済にまったく使わない。予算の6分の1、700億円を出せば、汚染された食材をすべて買い上げて農家、漁師を助けることができるのに、「汚染された食材を子供に食べさせて福島を助けよう」と言うような論理になる日本とはかなり違うような感じもする。

今、原発の安全性議論や将来のエネルギー選択の話を聞いていると、まさに情緒的日本を感じる。これでは原発のような超論理的技術は無理かも知れない。ちなみに「日本の原発技術は優れている」というのは原発の全体システムではなく、概念の要らない個々の原発部品の性能が良いということである。

(平成2484日)