気象庁が「過去に経験したことのないほどの豪雨」という奇妙な表現を使い始めました。これは昨年の紀伊半島の豪雨で和歌山県の防災関係者から「何ミリという数字ではわからない」という苦情があったということが理由とされています。
ホッテントットやブッシュマンなどの原始的な民族が、1,2,3,4,5と5までしか数字を数える事ができず、あとは「たくさん」というだけと言われて久しいのですが、日本の防災関係者も同じレベルになったようです。教育関係者としては哀しい限りです。
近代的な防災というのは、できるだけ定量的(何ミリ)に雨量をつかんで、それに応じた防御をすることです。
そして、毎年7月になると梅雨前線が夏型になって豪雨が多く、諫早豪雨では1日に1100ミリ、長崎豪雨では1時間に約200ミリというのが記録されていますので、過去の経験も活かすことです。
つまり、「過去に経験したことのないほどの豪雨」というのは、1時間200ミリ、1日1100ミリを超えるような豪雨ということになります。今回の豪雨は1時間100ミリ、1日500ミリですから、「過去に経験した最大の雨量の2分の1程度」というのが正しい表現です。
それでは、そのぐらいの雨量で大きな被害と犠牲者を出すのはなぜでしょうか?
1)豪雨のたびに「これまでにない」と言ってお役所の防災の手抜かりを隠そうとしていること、
2)7月の梅雨前線の豪雨は九州、中国地方の西では1時間200ミリがあり、その他の地方でも(最北端では福島)豪雨があることを知らせず、警戒していない、
3)災害のあった地域を「旧に復する」ということをして災害を再発している(このブログにすでに記載)
という人災を隠すからです。
近代防災は「何ミリの雨が何時にどのぐらい降る」というのをコンピュータで計算し、画像化し、正確に把握し、どの川がどのぐらい増水するかを速やかに通報するのが大切ですが、ほとんど手がつけられていません。
「雨が降るぞ」というと消防隊が川に見回りに行くというような前近代的な防災方法しかとらないことに、今回の被害の原因があります。つまり「人災」なのです。
人災を拡大しているのが気象庁の変な呼び方ですし、数字がわからないので抽象的に言ってくれという地元の防災関係者なのです。数字が扱えない人は防災関係から引退してもらいたいものです。
それにしてもあの真面目だった気象庁が、温暖化問題から曲がり、さらに福島原発事故の時には外国に風向きを連絡し、日本国民の被曝を避けるための情報を流さなかった・・・ずいぶん変節したものです。
それにしてもこのような人災で犠牲になった方が可哀想ですし、またこんな事をしていたら日本人の命が奪われます。関係者の誠実さを望みます。
(平成24年7月14日)