中学校や高等学校の教育はとても難しいのですが、大学でも時々「講義もできない」という状態になることがあります。
ワルの一団が教室にいて、講義を始めてもワイワイガヤガヤ、まったく講義を聴かずに大騒ぎをしていることがあります。小さい頃から「何をしても良い」という「優しい教育」を受けてきたので、自分では歯止めが効かないのです。
私が彼らの机の横に行って「聞きたくない学生は出て行ってくれ」と大声で言っても「フン」という顔をして、黙りません。机の上には禁止されている飲み物が置いてあり、椅子に膝を立て、横を向いて6人ぐらいで大声で話すのを止めないのです。
「前を向けっ!」、「出て行けっ!」と大声で怒鳴りますが、私は柄は小さいのですが、迫力、根性はある方で学生がどんなに私をにらんでもまったく意に介さずに怒鳴りますが、気の良い先生や女性の方の場合はなかなか難しいとおもいます。
教育のご経験のない方では「そんなのは無視していて良いじゃないか」とか「合格させなければ良い」などと言いますが、機械の小さな音を聞かせることもあれば、静かな環境で聞いてもらわなければならない講義もあります。
さらには「落第が何%以上になると補助金を切る」という文科省の変な指導もあり、落第もさせられず、暴れる学生を止めることもできず、教師はどうにもならないという状態になるのです。
いわゆる「ゆとり」の前は「高校の時に携帯電話を持っていたら取り上げられる」という教育を受けているので、「授業中に携帯を使っては行けない」ぐらいは知っているのですが、ゆとりの世代は「なんで携帯で電話しては行けないの」ということから始めなければならないこともあります。
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このような状態を打破するのは、第一にムチ、第二に立たせておくというような体罰以外に方法がないのですが、それはできません。すでに「教師のムチ」がなくなってからかなりの年月が経っていますので、「立っていろ!」と怒鳴っても腰を上げませんし、腕をとって背の高い乱暴な男子学生を立たせるのはかなり大変です。
日本の知識人、マスコミ、文科省はこのような「困難な教育環境」をどのように解決するのか、まったく知らん顔で、「難しいことは現場に押しつけて、なにか問題が起こると現場の責任にする体制」だけを作るのに熱心です。つまり「教育には興味が無い。子供に愛情がない」という人たちがテレビでワイワイ言い、制度を作っているということです。
一言で言えば、文科省がいじめの元を作り、テレビが他人ごとのように報道し、現場はなにもできずに呆然とし、そして中学生が死んでいるということなのです。
私が最初のこのシリーズで教育委員会に「ウソをつかない」事を求めたのは、自殺を防ぐことができない中学校の現場の状態を素直に記者会見で言って欲しかったという事だったのです。
(平成24年7月14日)