この題名が過激で品がないことは良く承知していますが、大津の中学生が可哀想で、それを考えるとこの程度のタイトルは許されるのではないかと思って、つけました。

少年を死に追いやったのは何だったのでしょうか? その一つに「大津の中学校にみなぎる正義感の不足」だったと思うのです。どこの中学校でもそうですが、「ウソをつかない」、「約束を守る」、「暴力をふるってはいけない」、「不当なことは許されない」などの最低の道徳が存在しないと、個別の行動だけを規制するのは実質的に困難です。

そしてこのような「道徳」は大津市、滋賀県、日本に充満していないと、中学校だけに道徳的雰囲気を求めても現実の運営はできません。

たとえば、授業に遅れてくる生徒に「遅れてはいけない。何時から始めるかはみんなでの約束だ」と言っても、「だって、首相でも約束を破っているじゃん。」と言われれば終わりだからです。

今の日本は「ウソ」、「約束破り」、「いいわけ」、「裏でいじめる」などで充ち満ちています。テレビの取材の応じた女子中学生が「そろそろ本当のことを言った方がいいんじゃない」と中学校の中で言っていましたが、まさに「ウソついても良いのだ。それが大人なのだ」ということを子供も知っているのです。

人が成長していくとき、いったんは社会より厳しい道徳のもとで育てる必要があります。大人になれば少しのだましやウソがあるのですが、それはその人の評判や生活などに直結しているので、ある程度のセーブが効くのですが、子供は利害がないので、いくらでもだましたり、ウソをついたりすることになります。

中学校で暴力の歯止めがきかないのはこの原理があるからです。社会にでれば暴力事件を起こさない子供が中学校などで暴力をふるうのは、未成熟であるとともに、利害関係がないので本人も限界を決めにくいということだからです。

その意味で、子供には大人より強い道徳が必要ですが、国会の偉い人がウソを言い、詐欺をし、謝らず、責任を取らずという現実を毎日、見ていたら先生がいくら注意をしても聞く耳を持たないのです。

この教育問題について、第一に「教育者自身がウソをつかないこと」、第二に「教師は聖職であること」を示しましたが、第三に「指導者は立派な人間であること」が求められるのです。

原発のウソ、増税の約束違反は日本の教育に大きな影響を与え、日本社会はよほどの覚悟をして出直す必要があるでしょう。参議院本会議の首相のいいわけは目を覆い、耳をふさぐようなものでした。これで、中学校に捜査が入ったり、先生の指導を批判しても意味がないことです。

相変わらずテレビ、新聞は見かけのことだけを問題にしていますが、もう少し無くなった中学生を可哀想に思い、自分の立場をすて真摯にこの問題に踏みこんでもらいたいものです。

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(平成24713日)