今から30年ほど前、一冊の本が日本の多くの人の思考力を止めました。その本の名前は「成長の限界」で、内容は「経済の発展には限界がある」というもので、作者はメドウスという真面目で人間の理解が不十分な数学者でした。
もともと学者でも地質学者や生物学者は人間に対する理解が深いものですが、それはこれまでの地球や生物の歴史に通暁しているからです.それに対して私も含めた物理や数学の人は理論が先行しますから、自分勝手で理屈っぽく、視野が狭いのが特徴です.
これはその人の職業がもたらすもので、どちらが悪いというようなことではありません.生物学者はお酒のみで人なつっこく、物理学者は傲慢で付き合いづらい人が多いものです。
メドウスは「1970年の世界がなにも変わらなければ」という前提で未来を計算し、「21世紀に人間の発展は止まる」と本に書いたのです.それをメディアが「何も変わらなければ」という前提を言わずに「発展は止まる」とだけをくり返しました。
なぜ人間の発展が止まるかというと「資源が枯渇し、環境が破壊されるから」とメディアは言ったのです.このこと自体に矛盾が含まれていましたが、多くの人がそれに気がつきませんでした。ちょうど、現在の日本で「温暖化が怖い。石油がなくなる」と言っているのと同じで、石油が無くなれば温暖化の原因となるCO2を出すことができなくなるので、この2つは同時には実現しません。
事実、メドウスもそれは気がついていて、彼の予想では「資源が豊富な方が環境破壊が早く来る」というものでした。資源を失えば活動量が低下しますから、資源が豊富な方が環境技術ができなければ破壊が進むのも当然でもあります。
でも、メドウスに間違いがあったわけではなく、「世界は変わっていく」のが事実ですから、メドウスの前提をよく考えなければならないのです。メドウスの結果は「仮に人間がなにも改善できなければ(人間が人間でなければ)、あと100年以内に発展が止まる」ということですから、「発展が止まると成長に限界がある(発展が止まる)」と言うことでもあるのです。
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今から200年前には電気も蒸気機関車も鉄鋼の大量生産方法もありませんでしたし、100年前には自動車もテレビもコンピュータもなかったのです。時代は「多消費型」だけの方向に進んでいるのではなく、あらゆる方向に進んでいます。
そしてこれからも人間の改善はGDPで言えば年間2から3%ずつ、つまり100年間で活動量は7.2倍から19倍(この計算はそれほどの精度がないので約10倍から20倍といって良いでしょう)になるだけ進歩します。
改善は前方向に進みますから、エネルギーが豊富なら豊富な方向に、無くなればエネルギーがなくなっても大丈夫な社会を作ります。それほど難しい事ではありません。農業はほとんどが水耕栽培になり力仕事はいらないでしょうし、漁業はサカナを自動的に誘導する方法が開発されるでしょう。
楽しみのために旅行に行くことはありますが、ビジネスはすべて電子的に行われ、現在の「出張」がなくなり仕事にはほとんどエネルギーを使わなくなると考えられます。都市の形も大幅に改善され、今でもすでにドーム型都市で冷暖房に使うエネルギーは10分の1が現実になろうとしています。
すべての活動に使うエネルギーが10分の1になれば、おおよそ1000年は持つといわれている化石燃料(石油、石炭、天然ガス)は1万年になり、また別の世界になります。
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もともと、なぜ原始的な単細胞だった緑藻類が人間になったかというと、生物は「改善してやまない性質」を持っているからです.サルが人間になり、ネアンデルタール人が現代人類にかわり、四大文明が現代文明になりました。すべては「すべての人間が不都合を改善し、すこしでも良い方向に進まなければ気が済まない性質」を持っているからに他なりません。
ただ、人間の頭脳は欠陥があります。その欠陥とは「頭にないことを思い浮かべることができない」というものです。電灯が発明される前、人間は夜は暗いと思っていました。電話が発明される前、人間は大声を出さないと情報を遠くに届けることはできないと思っていました。どうしても必要なときにはのろしや早馬を利用し、それはそれで社会を構成していたのです.
「成長に限界がある」というのは「自分の頭は、頭に入っていないことは思い浮かべない」と言っているに過ぎないことは、37億年の生物の歴史が如実に示しています.
(平成24年7月5日)