何でもアメリカに学ぶのは問題ですが、どう見てもアメリカの方が国益を考え、戦略もシッカリしている場合もあり、それを学ぶのは日本にとって良いことと思います。

その時に「アメリカがこうしているから日本も」という短絡的な事ではなく、日本的な特徴を活かしてアメリカの言動を参考にするのが大切と思います。

e1297d0d.jpg

この図はアメリカのエネルギー計画ですが、基本的に化石燃料(既存の石油・石炭・天然ガス)でまかなうようにできていて、原子力、まして自然エネルギーなどは脇役です。アメリカがなぜこのような計画なのか日本人も考える必要があるでしょう。

つまり、アメリカではDOE(エネルギー省)が100年後、30年後のエネルギー計画を立て、それに基づいて政策が決定されます。エネルギーというのはかなり難しいので、専門家がよく考えて議論をして、それが骨子にならないとなかなか成功しません。日本のように「温暖化が怖いから原子力」(数年前)、「原発事故があったから太陽光」(2011年)などとネコの目のように変わっていては国の力は伸びません。

また、一般の人がエネルギーを考えるのは良いことなのですが、そのときは第一にマスメディアが正しく伝えること、第二に一般の人も国際情勢、資源状態をよく調べて議論することが大切です。このブログで苦言を呈したように、女性の指導者のように「わたし、何も知らないけれどよい子になりたいから自然エネルギー」という論理では国を滅ぼすことになります。

・・・・・・・・・

でも、そのための前提がありますが、それは国の方で議論するときに専門家が「御用学者」でないことが必要です。でも、私がその生き証人であるように、現在の日本では「御用学者でないと国の政策を議論できない」という制約があります。

まず第一に日常的な研究費を獲得するためには、国かもしくは国に直結している学術振興会などに申請しなければならず、「国の政策に反する研究提案」が認められる可能性は低い。つまり、「研究費を多く獲得し、研究成果をあげている学者は基本的に御用学者」という体制ができあがっている。

第二に、たとえ国の委員に任命されていても、批判的なことを発言すると呼ばれない。辞令を首相からもらっても役人が出席を決めているからだ。

だから、御用学者が「お金をもらうため」にエネルギーを議論するから、もちろん「化石燃料は枯渇する。CO2で温暖化する」という前提だから学問的な議論は不可能であることがわかる.従って日本では「国のエネルギー政策を高い学問的レベルで議論して決める」ということができない。

・・・・・・・・・

このように考えると、現在の日本でもっとも望ましいエネルギー政策は「民間に任せて補助金を出さない」ことにつきる。なにしろ東電は巨大なお金を持っていた。現実的には経産省も東電の部下だったことからわかるように、エネルギーの転換をすることは容易だ。

「エネルギーは国が決め無ければならない」というのは幻想で、現在のように東電、トヨタ自動車、新日鉄のような巨大会社が存在するので、民間がエネルギーを選択すれば赤字になりたくないので、自然に最も効率的なエネルギーが決まる。

電力費の0.20%の研究費で運営していた電力中央研究所が太陽光発電を開発していなかったのは「意味が無いから」である。

「tdyno.156-(9:18).mp3」をダウンロード


(平成24628日)