先日、ある読者の方から「低線量でDNAの損傷がない」という論文を送っていただきました。それは健康に関する医療ニュースでその中に論文が紹介され、理科系とおぼしき人が「このような論文があるのだから、規制は厳しすぎる」というコメントをつけていました。

科学に携わるものとして、残念ですが、エセ科学者がこの世に多いことも確かです.とくに「政権にすり寄る科学者」がいるのはある意味で仕方が無いと思います.

スターリン時代のソ連ではすべてのことに政治が優先され、その中で「ルイセンコ学派」が誕生しました。「共産主義の元で育つ穀類や野菜は良く育つ」という理論で、このばからしい理論が当時のソ連の学会を支配したのです。

科学は「何が正しいかわからない」という疑いが第一ですから、共産主義の元で植物の生育が違うということが起こっても良いのですが、このような画期的な結論をだすには長い間の慎重な研究が必要です。でもルイセンコ学派の場合は「そのほうがお金がもらえるから、名誉が得られるから」というのが動機ですからもちろん科学でも何でも無いのです.

・・・・・・・・・

かつて「石けん・洗剤論争」というのがあり、主婦を中心として「洗剤は環境を汚す」という神話が誕生したことがあります。私はそのようなことがあり得るのか調べるために、当時知られていた200ほどの論文を読んでみました。

その結果、確かに洗剤が環境を汚染するという論文はあるのですが、それがある特定の研究機関だけで、その結果は他の研究機関ではデータとして認められていませんでした。

次に40ばかりある「洗剤は環境を汚染する」というデータのチェックをしました。そうすると論文ですからある程度の信頼性があるのですがやや特殊でデータも少なく、結論にも飛躍が見られました。

つまり、科学論文は結果を示すだけではなく、それに対する著者(学者)の考えが書いてあるものなのですが、それがつじつまが合っていないのです.新しい発見はそれまでの知見で説明できないことがあるのですが、それでも「なぜ、同じ界面活性剤で違いがあるのか?」というぐらいの説明か一部の研究が必要です.

もう一つ、私たちは「実験データ」と「科学的原理原則」の関係も核にします.たとえば被曝なら、エネルギーの高い電磁波(放射線)と高分子物質(人体)の関係はさまざまな研究でわかっていて、それと被曝データの関係を考えます.

また、 人間は原始的動物やマウスなどと違って、放射線の損傷に対して素早く修復する力を持っています.だから、ただDNAが破損したからそのままガンになるというものでもありません.

・・・・・・・・・

つまり、石けんと洗剤の問題でも、低線量被曝と健康の問題でも

科学は慎重です.そしてわからない時には「危険側」に重点を置き、徐々にその限界を明らかにするという原則を守ります.その意味では、「石けんと洗剤」という問題は、「石けんでも洗剤でも使用する量を減らす」というのは安全側なのですが、「石けんと洗剤のどちらが危険」という判断は「危険側」がないのです。

低線量被曝は問題がないという論文は多くあります。同時に危険という論文もあります。このようなとき科学は謙虚に「わからないから安全側に」というのが「科学の心」と言うものです.

一般の人をだますのは専門家にとって簡単なことですが、同時に専門家は「専門家の倫理」によってそれを厳しく戒めています.最近の低線量被曝の報道を見ますと、ルイセンコ学派(お金と名誉)の人や、科学の心を持たない人、それに専門家の倫理に厳しくない人が目立ちます.

「kagakunokokorotdyno.159-(7:22).mp3」をダウンロード

 


(平成24625日)