人は一人一人、人としての尊厳を持っています。それは背の高さとか英語ができるとかそういうものではなく、「日本人としてまともに生きていれば、その人には尊厳がある」と言うことです。ここでいう「まとも」というのは病気と闘って入院している人も、まともな人生を送っておられます。
そんな人間でも尊厳を失うことがあります。それは「働けるのに働かず」、「額に汗して得るお金では満足せず」、「人のお恵みを受ける」という状態です。たとえば仕事ができて収入があるのに、理由をつけて仕事をせずに生活保護を受けるようなものです。どうしても働けずに生活保護を受けるのは「まとも」ですが、働くのをいやがって生活保護を受ける人は蔑まれます。
福井県大飯町は原発の受け入れを町議会で圧倒的多数で決めました。理由は「あまりにも貧乏で、電源三法によるお金を必要とする」ということのようです。大飯の原発の電気は大阪の人が使うのですが、大阪湾では危険なので、貧乏な若狭湾にお願いし、その分だけお金を渡すというのに応じたようです。
私はニュースを聞き、大飯町はそれほど収入が少ないのかと可哀想になりました。地図を見ると海に面していて、漁場もあり、それほど困るようには見えないのですが、極貧なのでしょうか?
原発を誘致して産業を盛んにするというなら貧乏と関係はありませんが、電源三法で「危険手当」が出るのです。危険手当の意味は「大阪の人はお金持ちで危険はイヤだといっているので、原発を引き受ければその危険代金としてお恵みをだす」というものです。
私は大飯町が原発を引き受けるかどうかは大飯町の人が決めることですが、せめて「私たちは産業を盛んにしたいのであって、危険手当はもらいたくない。安全と信じて引きうけるのだから、お金は要らない」と宣言してもらいたいと思います。
この問題は、「東京の人は原発からの電気だけ」、「貧乏な新潟と福島の人は原発だけ」、「青森の人は廃棄物だけ」ということに象徴されていいます。東京は農業も工業もほとんどなく、それでいて他県の2倍の所得を得るというゆがんだ構造(ピンハネ構造)を採っているのに原因しています。
今後は、現場の所得の方が高いという「絆社会」を作り、原発は「安全なら都会に作り、電気に応じた廃棄物を引きうける」という原理原則をたて、もし地方が産業を活発にするなら「お恵みなしの原発」に切り替えないと、日本人が徐々にその誇りを失うことになります。
(平成24年5月17日)