11ミリ以上の被曝をしてもよい」という意味のことを発言したり、書いたりした医師は、ご本人が自主的に医師免許を返納するか、もしくは医師会がその医師の返還を勧告する必要があります。これはごく簡単なことですので、すぐにでもお願いします。

 

被曝に関する日本の法律と医師の普遍的な倫理によるもので、このようなことを曖昧にすると日本の医療の信頼は得られません。医師は社会的に指導的な立場にあって、6年間に及ぶ医学教育と国家試験の合格者でありますし、かつその後も医師としての教育を継続的に受けてきているのですから、このような簡単なことを知らないとか自分独自などと言うのは許されません。

 

なぜ、11ミリを超える被曝を許したり、勧めたりすると医師をやめる必要があるかというと、発言をすれば患者さんを治療することができないからです。その理由を明確にしておきますので、医師会なども体裁などにとらわれず、この際、日本の医療のためにはっきりした態度を示してもらいたいと思います。

 

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1) 国際的にも国内的にも、被曝は1)自然放射線による被曝、2)原発などからの人工源からの被曝、3)医療被曝、の3つからなっており、原発などからの被曝に対して医師の発言の権利は及ばない。医師は殿様でも神様でもなく、被曝に関する権限は「医療用」に限定される。医師は時に患者の両足を切断することがある。このように他人の体を傷つけても罰せられないのは、それが医療行為だからである。医師が医療行為で何ミリシーベルとを患者に施してもそれが正当な医療行為であるときだけ認められる。
また、医師が「自分は両足を切断しても罰せられないから、東電もお客さんの両足を切断することは許される」旨の発言は犯罪である。「自分の医療の学問や経験から、11ミリ以上の被曝は問題ないから、従って原発からの被曝は許される」との発言は医師として著しくその権利を逸脱している。

 

2) 医師が患者の両足を切断しても罪に問われないのは、日本社会が医師の専門性とその権限を医療に関して認めているからである。最高裁判所の裁判官が、「自分は社会的に尊敬される存在であるにもかかわらず、被告を殺す(死刑)にしてもよいことから考えて、人を傷つけることぐらい許される」などと発言することができないことと同じである。
現代社会はその社会の発展と維持のため、特に国家的に認めた人たちに特別の権限を付与することがある。しかし、それは患者、被告などに対して、一定の手続きを経て行えるものであり、その他に敷衍することは許されない。

 

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首相や都知事は日本国憲法の前文で定められている通り、国民の信託を受けてその代理業務をやっているのですから、法律に基づき、選挙してくれた国民を尊敬してその業務にあたることは当然です。もちろん、民主主義ですから全権を持った殿様ではありません。

 

これと同じように医療を行うことができる人たちも、国民の信託を受けて、特別な行為が許されているだけであり、その行為は医療行為に限定されます。それを管理している厚労省は、国民の代わりに監督の責任がありますし、専門家のギルドとして機能する医師会は不良な言動に対して必要な勧告を行うことが求められます。

 

もちろん、私がここに書いたことは普通の日本では行うようなことではありませんが、今回の原発事故における福島医大や東大に所属する医師の言動は、今後の日本の医療のためにどうしても処分、あるいはなぜこのようなことが許されるのかについての説明をする必要があります。

 

被曝に関して医師が発言しうる最大限の範囲は、「医療においては11ミリシーベルト以上の被曝を患者にさせることがあるが、医療以外の分野で人工的な被曝は11ミリシーベルトに限定されている。これらの被曝を将来合理的・学問的根拠を持って統一する必要がある」ということでしょう。

 

日本の医療の将来と、日本の専門家の倫理を保つために、厚労省、医師会、そして医師本人の誠意に期待します。言うまでも無いことですが、厚労省は国民のため、医師会は患者のために存在し、医師の利益代表でも無いと思いますし、さらに医療の正常化はこの二つの機関の最も大切なことと思います。「村の掟」ではなく、近代国家の「法律と倫理」のもとづいた行動を望みます。

 

繰り返しますが、「健康」に関することだからと言って医師は万能ではありません。患者さんを相手にした治療以外に、医師がどの範囲で発言しうるのか(医師として)、まだ社会的な合意は進んでいません。そのこともよくお考えになり、前向きな議論を展開することを期待します。

 

 

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(平成2442()