【かつての日本】 「わしが追い腹を詰めるから、後を頼む」(武士の覚悟)、「命を捨てても田畑(でんぱた)を守る」(百姓の覚悟)と、日本の親は子供第一でその人生を送ってきた。子供もその親の心が判って親を大切にする良い国だった。

 

【今の大人】  「原発の電気は欲しいけれど、廃棄物は子供がやってくれ」(日本人全員の親)、「大人は1年1ミリだが、子供は1年20ミリ(1年に胸のレントゲン400回)でよい」(校長先生)、「電気が欲しいから原発を動かす。爆発したら土地は100年はダメだけれど、それは子供が被害をこうむるだけだ」(経済界)、「コストが安ければ子供の就職先など考えずに、外国に工場を造る」(産業界の親)、「税金は使いたくないから国債を発行し、それは子供が支払ってくれ」(貯金家)、「どんなに若い人が減っても65歳からまともな年金をもらいたいから、子供は支払え」(年寄り)、「研究して出世したいから学生は企業からの委託研究をタダでやれ」(大学教授)・・・・・・

 

どうしてしまったのだろうか??

 

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かつての日本のお年寄りは、死に場所を選び、寿命を削っても子供のために仕事(田畑)を残した。でも、そのような潔い大人は絶滅し、子供を出汁にして生きる人ばかりになった。私たちはそれに気がつかなければならない。

 

そのもっともひどいのは「原発の電気はもらいたいが、廃棄物は子供がやれ」というのだろう。日本の原発が本格的になってから30年ほどになるが、まだ原発の廃棄物をしまうところがない。大人は「廃棄物は危険だ」といって原発の敷地に山積みにしている。

 

でも、原発をやれば廃棄物がたまるのは当然で、それは大人もよくわかっている。でも「俺はイヤだ。子供がやれ」ということを続けている。経団連もそうだ。「日本経済のために原発を動かせ。でも廃棄物は子供の時代にやってくれ」というスタンスで、原発再開を訴えるばかりで、廃棄物の最終処分場を提案する気配はない。

 

経団連の人は「お母さんはヒステリーだ経済が判っていない」と言っているが、それほど偉いならアパート経営ぐらい判っているだろう。つまり、アパートを経営する場合、家賃を取ればトイレも使うことになる。つまり{家賃=原発の電気}だけをとって、借りた人に{トイレ=原発の廃棄物}はダメだと言っているわけの判らない家主のようだ。

 

原発トータルに対して責任を持てないような人は発言を控えてもらいたい。また、私たちも私たちの生活は自分が額に汗しただけで満足し、毎日、ご飯とお味噌汁とめざしが食べられればそれで満足し、後は子供のため、日本のために働くかつての日本人に帰りたいと思う。

 

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少しやんちゃでも、ゴミなどをそこら辺に捨てても、元気で夢を持った子供を育てないと、日本はかなり難しくなると思います。かつてアラブから日本に来たタンカーは今、途中で中国へ曲がっているのです。中国の親は一所懸命、子供の時代に日本より豊かな国になろうとしているのに、日本の親は自分のことだけを考えているように見えるのです.

 

「takeda_20120326no.463-(6:05).mp3」をダウンロード

 

 

(平成24326日)