大飯原発の再開問題は奇々怪々の様相を呈しています。原発賛成の人と反対の人が同じテーブルに着いて議論するためには、手続きが正しくなければなりません。争いが増え、危険が増大するだけです。

 

まず、第一に日本政府は日本国民に対して「原子力をやる時には「自主民主公開」の原則と、「推進と安全」を別に分ける」を貫くと約束しているのに、経産省(保安院)=推進機構が安全の審査をしていることです。

 

さらに、本来ならやってはいけないことをしている保安院の一次審査を、安全審査を担当する安全委員会がザッと審査をして、さらに「我々は原発の安全性は審査しない」と公言するなど、あらゆる奇妙なことが起こっています。

 

さらに、最終的には「安全」を「政府」が「政治判断」すると言う始末です。このような発言を聞きますと、民主党は「民主主義」ではなく「お殿様のいる封建主義」を信じているのは明らかです。

 

日本国憲法に定められているように、政府というのは国民の厳正は信託をうけている公僕であって、法律で定められている権限委譲にはできません。大統領であれ、首相であれ「全権」を持っているわけではなく「枠内」であることが条件です。

 

原発の再開という多くの人の命、健康に関係することをいとも簡単に職務範囲を逸脱し、おまけにそれにほとんどの識者が異議を申し立てないというのはなんとも不思議なことです。

 

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「国民は経済が判らないから、ストレステストで再開する」と言う専門家も封建主義の中に生きているのでしょう。本来、原発の安全性の審査は「ストレス方式」です。つまり、「このようなことが起こったらどうなるか」という審査ですから、もともとストレス方式です。

 

さらにこのストレステストというのはアメリカやヨーロッパで金融や銀行に対して行われるものですが、サブプライム崩壊やギリシャ危機などが起こっているアメリカやヨーロッパのストレステストは実質的に失敗しており、それを原子力に応用すること自体、奇妙なのです。

 

英語(ストレス)が出てくるとひれ伏すようでは、地震と津波のないアメリカやヨーロッパとは違う日本独自の安全性を確保することはできません。原子力の原則をすべて破るのですから、経団連なども日本の健全な発展のために長期的視野にたって、政府の行動を批判して欲しいものです。

 

経済界は電気が欲しいから原発再開に賛成するのが当然だと思われていますが、産業界はこれまで「安全第一」によって発展してきました。だから「原発を再開したいから無理矢理、安全と言う」というのは産業界自体が反対のはずなのです。

 

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(平成24324日)