(計算の一部を間違えましたので、修正して再掲載します。またこの記事で「肺がん」としているのは、「気管、気管支、肺がん」を合計したものです。少しずつ厳密にしていきます。

 

ここでは多くの反撃は予想されますが、タバコと肺がんの関係についてその基本的なデータの解説を行います.私はなぜタバコのことが書きたくなるのか?その理由が自分でもわからなかったのですが、最近、それはハッキリとわかってきました。まずタバコのことを話す前に、私は次のことはよくわかっていることを確認しておきます.

 

1) タバコを吸うと呼吸器系の障害が起こる確率が高くなることが医学的には明らかになっている、

 

2) タバコの煙が我慢できないほどのストレスになる人がおられること、

 

3) 呼吸器系が弱く、大変に苦しんでいる方が多いこと、

 

4) 原発の問題が大変な時に、タバコのことを書いて反撃を受けるのは不利になるとご心配される方がおられる、

 

しかも、私自身はタバコを吸いません。でも、それだからこそ、私はタバコの問題を取り上げたいし、それが子供の被曝を減らす一つの力になると思っているからです。

 

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この図は喫煙率と肺がんの発生数を示したグラフで厚労省などの公的機関から出ているものです。まず第一に喫煙率が下がると肺がんが増えるという常識とは逆の関係になっています。

 

でも、この記事では「禁煙運動」、つまり「タバコをすうと肺がんになる」という話が「誠意のある言い方か」というのに絞ります。この話が出てきたのは20年前の1990年以後ですが、その時点での喫煙者の数と肺がんの数との関係をこのグラフから計算してみましょう。

 

1990年の成人男性は約5000万人(調査上の問題あり)、同じく1990年の男性の肺がん死亡者は約1万4000人(タバコを吸うと肺がんになる危険性が1.6倍になるというデータから計算)です。つまり、タバコを吸っている人が1万人いるとそのうちその1年には2.8人が肺がんで死亡するということを意味しています。

 

・・・・・・・・・(冷静に読んでください)・・・・・・・・・

 

私の親しい医師は「心臓や脳の病気より、今はガンの方が良い。だから武田さん、ガンは平気ですよ」とアドバイスをしてくれます。少し表現が問題ですが、ある人が「俺は肺がんで死にたいからタバコを吸おう」と思ったとして、それは現実的でしょうか? もう少し精密に計算をしてみます。

 

1990年に死亡した人は男性で約50万人ですから、そのうちタバコを吸っていた人は30万人ということになります。また、肺がんで死んだ男性の内、2.8万人がタバコを吸っていて、1,8万人が吸っていなかったので、その差は1万人です。

 

つまり、ざっとした計算をすると、もし今までタバコを吸っていなかった人が、「タバコを吸って肺がんになろう」と決意したとします。その人が一所懸命、タバコを吸っても、30万人に1万人、つまり30人に1人ということになります。

 

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この「30人に1人」というタバコを吸うことによって肺がん死になる人の確率をどのように考えるべきでしょうか? まず「タバコを吸うメリット」の方から見てみましょう(カッとならないように)。

 

ある高校の同窓生60人の人が高等学校を卒業してまもなく、約半分の人が20歳でタバコを吸い始めたとします。それは1930年のことでした。それから60年、ずっとタバコを吸い続けた30人が1990年にお亡くなりになり、そのうちの2人が肺がんで死にました。またタバコを我慢していた30人亡くなりましたが、肺がんで死んだ人は1人でした。

 

確かにタバコを吸っていた友達のうち2人が肺がんで亡くなりましたが、タバコを吸っていなくても1人は肺がんでしたから、その差はわずか1人。人によって感じ方が違うと思いますが、ある人は「えっ!60年も好きなタバコを我慢しても、2人が1人になるだけ?! それなら俺は吸うよ」という人もいれば、「俺は我慢は平気だ。禁欲的生活が好きだからたとえ1人でも我慢する」という人もいるでしょう。

 

つまり、人生そのものはその人のものですから、データを提供する人はあくまでも「正しいデータを正確に」提供すれば良いのであり、神様ではないのですから、「こうした方が良い」などと言う必要は無いのです。

 

禁煙運動を進めている人は熱意が溢れて、「タバコを吸うと肺がんになる」と言っておられますが、これは少し言いすぎで「タバコを吸うと、肺がんになる比率自体は低く、30人に1人ぐらいですが、やや危険なので注意をした方が良いでしょう」と言うぐらいが適切と思います。

 

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タバコが呼吸器を痛めることは確かです。タバコの臭いが嫌いだったり、煙で苦しむ人がいることも確かです。でも、だからといってタバコを吸うことによって30人に1人しか肺がん死が増えないのに「タバコを吸うと肺がんになる」と言うのは「脅し」の一種でもあるでしょう。

 

むしろ、「タバコを吸って肺がんになる可能性は少ないけれど、人に迷惑をかけるから自重したら」というぐらいが誠意ある言い方のように私は思います。ところで、グラフが示すこと={喫煙率が下がると肺がん死が増える}と、「副流煙は喫煙の危険性の40分の1だから、副流煙を吸って肺がん死になろうとしても、1200人に1人になり、ほぼ関係がない」ということについてまたジックリと考えてみたいと思います。

 

ところで、私が「損」を承知でタバコのことを取り上げたのは、最近、深く考えることがあるからです。それは「事実→解析→意見→感情」と進むのがまともで誠意ある道筋ですが、識者と言われる人の言動をみると「周囲→損得→意見→事実」となっていて、それを一般の人に言うと、一般の人が「周囲→感情→意見」になっているので受け入れやすいという識者の作戦のように見えます。

 

「私がタバコを吸うかどうか」という「喫煙が是か非か」とはまったく関係のないことが問題になるということは、現在の社会が「損得で発言が変わる」ことを前提にしているように思えます。

 

特に評論家の方は「現場」と少し離れているので、事実に対する重みが少なく、自分が接している相手が「受け入れやすい」ほうに流れるような気がします。つまり、「タバコを吸っても肺がん死が増えるのは30人に1人か!」と判っても、社会が「タバコを吸うと肺がんになる」と決まっていたら、データを言わないとか、データがウソだということ(自分の損得のためにデータを取捨選択する)の方に舵を切るのです。

 

これもどはっきりしたデータがあっても、「タバコを吸うと肺がんになる」と言われたのですから、この日本社会では「みんなで言えば」なんでも通るのです。誠意をもってデータを提供しても罵倒されるだけの社会、それはまさに「村八分」、「魔女狩り」の社会のように私には見えます。それとも「庶民はバカだからデータではなく、結論だけを教えればよい」という日本の知事によく見られる現象です。

 

福島原発で、子供が被曝しても心が痛まなかったり、法律で1年1ミリと決まっていてもそれを口に出さなかったりする原因がわかったような気がします。

 

「takeda_20120315no.450-(14:26).mp3」をダウンロード

 

 

(平成24314日)