医師、農家、エンジニアに呼びかけてきたが、次には産業界に呼びかけたい。かつて産業は「悪徳商人」だった。何をしても良い、ただ儲ければよい、巨大な政商でも、死の商人でも、公害を出しても、とにかく儲ければそれが産業だという時代もあった。

 

でも、それらの反省を活かして1980年代には「企業の社会的責任」が問われるようになった。当然ではあるが企業はお客さん(社会)がその製品やサービスを買ってくれるから成立するのであり、決して「国」や「代官」が支えているのではないからだ。

 

大会社の社長が、「一商人」としてではなく、国の重要な委員になったりして社会的に尊重されるようになったのも、企業の社会的責任と日本を支える重要な立場を認識したと見られたからである。また、ビジネスマンも単なる商人の番頭や丁稚ではなく、日本を構成する重要な専門職と思う。そしてそのように活動をして欲しいと念願している。

 

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ところが1990年のバブル崩壊の後、わずかに続いた「企業の社会的責任」は消え失せ、私が指摘している「リサイクル、ダイオキシン、温暖化」の魔術を使って「企業イメージを上げ、補助金をもらう」というシステムに組み込まれていった。

 

その他にも、社長が1億円を超える年俸を得たり、不安定な雇用を創り出して社会的な不安を与えたり、日本国内に職が少ないのに収益を上げることだけを目的として海外に進出したりとおよそ企業の社会的責任を果たすことなく今日まできた。

 

今、日本企業は自らの首を絞めている。過度な環境規制による経費増大、夢のないサラリーマンや技術者の創造力低下、補助金事業による将来展開の消失など「生きている企業」として致命的な状況が続いている。

 

その典型的なものの一つが「節電」を呼びかけながら「電気自動車に補助金をもらう」という現象であり、社長が1億円を超える年俸をもらう大企業が「自分だけが良ければよい」という露骨な姿勢をとっているのである。

 

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経団連会長が原発の推進を表明している。もし企業がお金に責任を持つなら、東電の不始末を経団連が金を出して補償すべきである。福島の子供たちを疎開させるための土地と学校を作り、福島の土地を除染して「健康で文化的な生活」ができる土地を取り戻し、福島の人の損害を補填し、電気料金をアメリカ並みに今の電気料金の2分の1まで下げ、そして「原発再開」を表明するべきである。

 

「俺は何もしない。全部、国民が金を出せ。俺は儲けるだけだ」というのでは、産業界は国民の支持を得られない。ビジネスマンが専門職として社会の尊敬を受けるには、その社会的責任について深く洞察し、行動に移すことだ。結局、収益は日本が繁栄し、倫理的に正しい社会ができないと上がらないと考えられる。

 

是非、この際、日本人の一人として産業人、ビジネスマンもまた、「健全な日本、善良な国民」に帰って欲しい。

 

 

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(平成2435日)