東京化学同人というところが出している「現代化学」という学術誌は、学会誌などとは違いやや一般人も興味を持って読むことができ、かつ学術的にも高度で、日本の科学雑誌としては価値が高い伝統のある雑誌である。

 

この雑誌の2012年3月号に、馬場宏先生のご執筆になる「食品放射能の許容値を考える」という論文が掲載された。著者は東大理学部を卒業後、原子力研究所に勤務、その後大阪大学の教授で、この道の専門家(以下で定義する)か学者(以下の定義)である。雑誌の記事の情報を読者からいただいた。

 

内容は、放射線の基礎、人体との関係、ICRPの勧告、食品の暫定基準値などを説明した後、セシウムを中心として人体に対する影響と許容値、事故時における許容値について学術的に詳細に述べている。そして、文章の終わりには、この論文で一貫して述べているように「規制値が厳しすぎる」、「反原発グループが危機を煽っている」ということを総まとめして締めくくられている。

 

論文に書かれた内容には著者自身の問題と、この論文を掲載した東京化学同人の見解の問題の二つを含んでいるが、学術内容の適否ではなく、学問の自由と専門家の倫理という視点から本論文と論文掲載の犯罪性と倫理違反の有無について論じる。

 

日本国憲法第23条は学問の自由を、また同第21条には表現の自由が基本的人権として規定されている。しかし、これは社会の公序良俗を前提としたものであり、「殺人の勧め」や「脱法行為の教唆」などを含むものではなく、そのような内容の論文を発表、あるいは出版することは逆に学問や自由な言論に対して脅威となる。

 

日本の法律では、一般人に対して「外部被曝と内部被爆を合計して1年1ミリシーベルトの被曝を限度とする」とされており、原子力安全委員会指針では「1万年から10万年に一度の事故の場合、1年5ミリシーベルトまで上げうる」(法律や規則の改定は必要であるが)とされている。

 

しかし、本論文では日本の法律(現在までの公的に認められた数値)について明確に解説をせず、また基準値が低いことについて批判的見解を述べている。また、ほぼセシウムのみに限定し、事故直後の放射性ヨウ素の被曝についての加算も明確な計算値が示されていない。

 

・・・・・・・・・

 

これらの論調はこの論文ばかりではなく、事故後に発表された多くの新聞、雑誌などでの識者のものと同じであるが、この際、このようなものは「学問の自由」にも「表現の自由」にも入らず、犯罪性や倫理違反の可能性があることを指摘し、関係者の熟考に期待したい。

 

【結論】 被曝限度は法律で明確に決められており、事故時の上限も指針が存在する。従って「1年1ミリ以上被曝しても良い」という論文は、現に福島県を中心として被曝中の多くの人が存在する現時点では、「酒酔い運転をしても良い」という論文と同じ法律違反と倫理違反の可能性がたかい。

 

血中のアルコール濃度が0.15(ミリグラム/リットル)以上が検出されると法律違反で罰せられるが、世界各国が0.15に統一されていることもなく、学問的にはさまざまな考えがある。しかし「0.15以上であっても運転しても良い」とか「酒を飲んでいる方が決断力が高まるから運転には望ましい」という「呼びかけに近い論文」を出すことについては注意を要する。

 

このような見解は学会などの専門家集団の中で検討され、専門家集団の合意を得たら社会に発信できるものとするべきであろう。

 

【第一:学問の自由との関係】 学者は「人の健康や命、財産に直接、関係の内場合に限って」、学問の自由のもとで自由な著述が許される。直接、人の健康や命、財産に関わる場合、発表形式、文章表現に制約が加わる。

 

つまり、研究者は直接、社会に呼びかけることができず、教師、啓蒙家などのように社会に科学的なことを伝える役割を持つ専門家は「自らの意見を控え、社会の合意を説明する。必要に応じて若干、諸説を紹介するのは許される」と考えられる。これは安楽死が社会的に認められていない時に、医学的に学者が安楽死の研究を行っても良いが、医師は患者に安楽死を施してはいけないことと同じである。

a477f21b.jpg

 

 

 

この図はこのブログで再三、紹介しているが、社会に直接的に影響を及ぼす行為には制限があり、裁判官は自ら法律を作らず、牧師は聖書を改編してはいけない。今回の論文に同意し、1年1ミリ以上被曝し、病気になった人は著者および出版社に賠償を求められると考えられる。

 

【第二:表現の自由】 表現の自由はきわめて重要で、安易に制限するべきではないが、放送法第3条の2に示されているように、「議論のある論点については、考えが異なる双方の意見を示すこと」、「公序良俗に反しないこと」などが求められていて、今回の場合は著者に法律で定められた数値やその内容の解説を求めるか、もしくは法律の数値を決めた委員会の委員に執筆を依頼するかが必要である。

 

また、「どのぐらい被曝したら5歳の子供が15歳で発症するか」が不明な現状で、このような論文が公序良俗に反さないかについての出版元の見解表明がいると考えられる。

 

・・・・・・・・・

 

いずれにしても、学問の自由や表現の自由を守り、育てていく上において、「論理を詰めず、まあまあ、なあなあでいく」や「反論を無視する」というのではなく、真正面からこの問題に取り組む真摯な態度を要すると考えられる。

 

 

 

(平成24225()

 

「takeda_20120225no.429-(13:26).mp3」をダウンロード