時間というのは実におもしろいものです。東京から大阪に行くと、大阪から東京に帰ることができるのに、昨日から今日になると、今日から昨日に戻ることができないのです。
時間が過去から未来へ流れて元に戻れないのは、宇宙が爆発して膨張しているからと考えられています。望遠鏡で宇宙を見ると、今から1万年前にでた光を見ることができるのですから(1万光年の彼方の星の光は1万年前に出た光)、1万年前に宇宙が合ったことが判ります。
でも、宇宙のどこを見ても未来の光はありません。だから、「過去はあったし、目で見ることもできるのに、未来は見えない」ということです。地球上に住んでいると「過去を見ることができない」と思いますが、もし地球から10光年離れたところに受光器があり、そこで光を受けて増幅し、そのまま地球に送り返す装置があったら、自分の20年前の姿が、20年後の自分と同じように見ることができるでしょう。
ところが、未来はどこにもないのです。「どこにもない」のではなく、「まだ、未来は誕生していない、存在しない」のではないかと思います。つまり、「明日が来るかは判らない」ということです。
今の物理学の計算では、「宇宙の膨張の力」は150億年後に無くなるとされていて、そこからは時間が逆転する可能性が高いのですが、この計算が間違っていて、明日、宇宙が膨張する力がなくなると明日という日は来ないはずなのです。
「明日は当然のように来る」と思うと、欲がでますが、明日の朝、起きたとき、「ああ、今日もあったか。宇宙も俺も生きていたか! ありがたい」と思えば、またその一日を大切にすごそうと思うような気がします。
だから、本当は「今日も朝があったか」と色紙に書きたいところですが、すこし前で止めて「今日も朝」と唱えることにしています。
(平成24年2月16日)