学者は「社会のため」などと肩肘を張る必要もなく、自分の学問的な興味にそって社会の片隅でそっと研究をするものでしょう。というのは、学者が研究していることは必ずしも社会に役立つかどうかも判らないからです。
でも、長い人類の歴史を見ると学者が研究していることが、あるいは社会の危機を救い、日常生活を豊かにし、そして人類の知恵を拡げて迷信や差別を無くしてきたことも確かです。
ガリレオが当時、まだできたばかりの望遠鏡を使って、おそるおそる天体を見始めたとき、彼自身もまた社会も「地球が宇宙の中心だ」ということが覆されるとは思ってもいなかったのです。
またダーウィンがビーグル号にのって生物観測のために海にこぎ出したときも、彼が帰国して程なくして人類は自分たちの祖先が「神」ではなく「猿」であると告げられることを予想もしていなかったのです。
これらの発見や、自動車、テレビなどの発明が私たちの思想、生活などに大きな影響を与えたことを否定することはできないでしょう。ライオンの生活が1万年前からほとんど変わっていないのに、人間の一生が大きく変わるのは、人間の頭脳の働きによるもので、それは単に生活を豊かにするばかりではなく、私たちの頭脳の働きをも根本的に変えるものだったのです。
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ところが、ロンドン天文台帳のブラウン博士、作家のオルテガ・イ・ガセット、それにマックス・ウェーバーらが20世紀の初頭の現象として指摘したように、人間の知の働きはお金に強い影響を受け、それが交通・通信網の発達、帝国主義の進展などの技術的、政治的な変化にともなって、知的活動の低下、「知」そのものへの軽蔑と変化していると感じられます。
私が学問的環境に身を置くようになった今から30年前から、さらにバブルが崩壊した20年前から、その動きは特に顕著になってきているように思います。今回の東北大地震と福島原発事故はその一つの大きな結末とも考えられ、私たちはこの際、「知の重要性」を深く認識しなければならないと思います。
私の専門とする資源、材料、環境、エネルギーなどの分野を中心として、現在の日本に蔓延する「知を侮辱した流行」を個別に指摘し、知を大切に思う人たちとともに「お金中心の貧弱な日本」から、日本の文化、自然と調和したしっとりとした生活を取り戻したいと思います。
次回から、現在の日本に蔓延する「知の侮辱」について、一つずつ解説を加えていくつもりです。
(平成24年2月5日)