「過ちては改むるに憚ること勿れ」(憚る(はばかる・・グズグズする)、勿れ(なかれ・・あってはいけない)ということわざがあります。でも、それは自分の人生を否定し、捨てることになることもあります。

 

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原子力推進団体がNHKの番組(低線量被曝に関する日本の決定は政治的な要素が入っていた)に対して「バランスを欠き、事実に反する」という内容の抗議をしたことについて、反感が高まっています。

 

福島原発が爆発したことは事実であり、そのことについて原子力を推進してきた人は深く反省するべきなのに、まだ強弁しているという感じです. その人たちは私も個人的によく知っている人が多いのも、心を痛めます.

 

福島原発事故が起こって以来、原子力の人たちは、自分たちが決めてきたこと(11ミリシーベルトの被曝限界、事故確率が1万年に一度ていどなら5ミリに上げることもある。それ以上に被曝限界を上げるには10万年に一度ぐらい)を自分たちで否定したり、隠したりしました。

 

10万年というと、次の氷期(日本全体が厚い氷に覆われる時代)までですから、第一、原発というものがそれほど長く続くこともないでしょう。

 

でも、なぜ、政府、東電、原子力専門家、推進団体(今回の事件は「エネルギー戦略研究会」、「日本原子力学会シニア・ネットワーク連絡会」、「エネルギー問題に発言する会」)は「事故を小さく見せよう、被曝の影響は小さい」というのに力を注いでいるのでしょうか? 

 

原発を推進するためには、これらの言動はまったく逆に見えます. 原子力は安全でなければいけないものですし、社会も事故を起こしては支持されません.だから、原子力を推進する人は、事故についても被曝についても、社会一般の人より厳しく考えているはずだからです。

 

先ほど、書いたことですが、原子力発電所が大きな事故を起こしますと、被曝の危険性があります。そしてその限度は11ミリとしてきたのも原子力関係者です.それに加えて.原子力作業者の年間被曝量は1ミリに自主規制をしてきたのも、今度、抗議をした人たちなのです。

 

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抗議をした人の多くを私は知っています。そして真面目で立派な日本人であることも承知しています。でもなぜ、ここで信じられないほど動揺しているのでしょうか?

 

私の解釈では「原発は危険だった。従って、自分がこれまで言って来たこと、自分の人生そのものを否定しなければならない」という事態になって、その覚悟がつかないのでしょう。

 

私が原子力を捨てるのは20年間の人生を捨てるだけで良いのですが、抗議をした人はほぼ一生の仕事を否定しなければなりません。それはとても辛いことです。

 

でも、諸先輩にこんなことを言うのもなんですが、人間には誤りがあります。正しいと確信して仕事をしてきても、それが間違いだったこともあるのです。そのことを正々堂々、ハッキリと認める力、それは「日本には子供たちがいる」ということではないでしょうか?

 

辛い気持ちはわかりますが、是非、福島原発の事故を真正面から見て、その原因が「人災」であったことも考え、国民に対してすまなかったという気持ちを持っていただければと願うところです。

 

NHKがICRPの決定をどのように伝えたかではなく、ICRPは任意団体であり、日本は国家として被曝限度を決めており、さらに原発関係者はみずからその規則を適応してきたという「自分自身のこと」言動の一致について深く考えて貰いたいと思います。

「takeda_20120203no.409-(6:42).mp3」をダウンロード

 

 

 

(平成2423()