東北大震災、福島原発事故、政府の不誠実、そして東大の地震予報などが続き、人間の未来に不安を持つ人が多くおられます。そして、「このまま文明が進んだら、環境がすっかり悪くなってしまうのではないか?」とか、「豊かな生活を送っていたら資源が無くなり、神様から罰を受けるのではないか」と言われたことがありました。

 

確かに、1970年代前半にMITのメドウスが「成長の限界」という本を出版し、21世紀には地球環境がすっかり破壊され、人類の文明の成長は崩壊で終わるという考え方が世界を覆ったのです.

 

このメドウスの結論が間違っていたことは、事実でもまた論理でもハッキリしたことはこのブログでも書きましたが、世界中の人が錯覚した第一の原因は「人間の頭脳の構造」によっていたのです。

 

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紫式部の時代といっても、その少し後だが、鴨長明という人が有名な「方丈記」を書いている.その書き出しは有名な「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」で始まり、最後には「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」という歌で終わっています.

 

全編、どちらかというと災害、大火事、戦争などの描写で覆われていて、「世も末だ」という感じです.国語の先生に怒られそうですが、私の印象は「やれやれ、鴨長明も自分の頭が良いと思ったのだな」という感想を持ちます.こんなことを書くと国語の点数は悪くなるでしょうね.

 

そういえば、学校に行っていた頃、国語の教科書に載っている文章を読んで、感想を書くことが多かったのですが、不思議なことにその感想には「模範解答」があって、よい子の解答をしなければ点数が悪いというしきたりがありました。

 

「方丈記」ではおそらく「世のはかなさが良く表現されている」とか、「貴族から武家支配に変わっていく日本の中で・・・」などと論評すると良い点数がつき、「鴨長明は人間の頭の欠陥に気がついていない」などと書いたら怒られるでしょう.(鴨長明ファンからのバッシングが予想されます.

 

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もし、鴨長明が時間をジャンプ(ワープ)して5年間、六本木の高級マンションに住み、なに不自由なく美味しいものを食べ、冷暖房の効いた部屋でゆっくり過ごし、時には美しい海岸線にいって保養する生活をした後に、再び「方丈」で過ごしたら、どのように書くでしょうか?

 

安元の大火、治承の竜巻、養和の飢饉、元歴の地震とわずか10年ほどの間に、4つも大災害が起きたのだから悲観的になるのも当然だと言うのは評価は甘いのではないか、あまりにも視野が狭いのではないかと思うのです. 

 

日本には富士山、磐梯山、浅間山、阿蘇山など山の形が変わるほどの巨大な噴火があり多くの犠牲者を出していましたし、その一部は彼の時代にも伝承として伝えられています.また、縄文時代には鹿児島沖に巨大な噴火があり、今の鹿児島県から九州南部一帯が火砕流で全滅した経験も日本人は持っています.

 

日本列島のような地震、津波、噴火などが頻発するところに住んでいれば、むしろそんなことには動揺せず、長い目で自然というものを見る力はついているはずなのにあまりに近視眼的と言えるでしょう.

 

六本木から帰った鴨長明は、まさか「今が末世」とは言えず、1000年後は華やかな生活が待っていると書いたかも知れません。

 

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「自分の考えを自分自身が客観的に見る」ということは、「自分の頭で考えることの限界」について頭を巡らしておくことと思います. たとえば、自分の考えは自分が見たり、聞いたり、経験したりしたことによって作られているということ、ほぼ同じことを見聞き経験しても意見の違う人がいること、自分が生きている時代より1000年も前の人は自分と違う世界観、人生観を持っていたことなどを考えると、「自分が正しいと考えたことは間違っている」という確信があるはずです。

 

ただ、その中でも私たちがこれまで経験してきたことが、「状況さえ変わらなければ」、「続く可能性がある」ということは言えるのではないかと私は考えています.

 

そのうちの一つに、「太古の昔に比較すると、人間の一生は良くなっている」と言うことです。古代日本の平均寿命は20歳ぐらい、江戸時代には30歳から40歳、今から約100年前の日本が男女とも43歳です。

 

昔は、生活は苦しく、肉体労働でへとへとになった肉体は40を超えると平均的にはぼろぼろになったのです。もちろん、結核などで夭折する人も多く、哀しい人生でした.それでも人間は幸福感を持って人生を送っていたのですが、「平均寿命が20歳と80歳とどちらを選ぶ?」、「盲腸になったら呻いて死ぬ社会と、手術ができる社会のどっちが良い?」と聞けば、その答えは多くの人が同じでしょう.

 

私は、「なぜ、人間は良くなっているのか?」という理由として、「一人一人の人が今日より明日を良くしようとしているから」と答えています.もともと政府や国家の力などはあまり大したことはない、悪いことだけしているという考えの私ですから、「社会を良くしてきた」のは、そこに住む一人一人の人の改善の心と思っているのです.

 

政府はできるだけ影に隠れてくれということになるのですが、どうも最近では政府が要らぬお節介をするのが気になります。

 

(平成2421日)

 

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