4号機の再爆発が懸念され(私はそれほどの危険は無いと思っています)、福島を中心としてセシウムが再飛散しているのに、これまで「原発は安全」と言って来た専門家からはほとんど情報が提供されません。
その基本的な理由は「お金だけの社会」にあるのですが、より直接的な原因は「役に立つ研究」、「国立研究所重視」の政策にありますが、それは1990年ごろ、日本社会が支持したものだったのです。
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それまでの日本の学問は大学が主体となっていて、簡単に言うと大学の教授に「均等」に研究費が配られ、先生方が「勝手」にそのお金を使っていました。ある学者は夜の10時まで懸命に研究し、ある学者は適当に、そしてある教授は海外に「学会に行く」といっては外国でワインを飲んで帰ってくるという具合でした。
そこで、東大教授、文部省、そして一部のマスコミなどが連合して「役に立つ研究に研究費を出す」という運動がおこりました。その当時、「こんなひどい大学教授もいる」というような本を読んだことがありますが、大学教授も100人いれば、2,3人は変な人(大学教授はもともとやや変ですが)がいますから、その人たちを取り上げればどんなことも言えるという感じでした。
かくして「役人が決める「役に立つ研究」」にお金が出るようになったのです。もちろん、役人は形式は整えますから、科研費(かけんひ)と呼ばれるものを含めて、さまざまな研究費の分類を作り、それに東大教授を中心とした「審査システム」を作り上げました。
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その結果、簡単に言うと、まず第一に普通の研究費は大学の先生が文部省や経産省、厚労省、環境省などの申請をだし、それを東大教授が審査するというシステムができ、東大教授にゴマをするか、またはその時の国の政策にあった研究を申請することになりました。
第二には、「大型研究」でこれは、「偉い先生」が文科省、経産省、NEDO、JSTなどの外郭団体と親しくなり、「地球温暖化研究」、「DNA研究」、「ナノテク研究」、「太陽電池研究」などとして数10億円から数100億円のお金を獲得し、それを隠語で「青虫」として「配下の教授」に配るシステムです。
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20世紀の初めに「共産主義」の国家が誕生したときでも、未来はバラ色でした。なにしろ、国民が団結して上下もなく、私欲もなく、理想郷を作るのですから、それまで圧政の下で呻吟していた人たちにとっては素晴らしいものに感じられたのです。
でも、ソ連(ロシア)では、すぐに権力闘争が起こり、スターリンが「大粛正」という名前の殺戮を行い、後をついだ権力者も高級車を6台も保有するということになったのです。「素晴らしいシステム」があっても「人間がそれに応じるだけの人格があるか」の両輪が必要なのです。
「役に立つ研究」も同じでした。理想は素晴らしいのですが、現実には神様がおられたら神様に「役に立つ研究」を決めていただくことができるのですが、神様がおられないので、その代わりを東大教授、高級官僚、政治家などがやることになり、その人たちは「私利私欲」をもとで動きますから(人間としては当然かも知れませんが)、結局「御用学者」と「ごますり学者」が幅をきかせるようになったのです。
それに加えて、学問が大型化するとともに「国立研究所」などの力が大きくなり、環境問題では「地球温暖化計算のためのスーパーコンピュータ」、「環境観測の大がかりなシステム」などを国立研究所が進め、その結果、「政府が温暖化と言えば温暖化」、「東海地震と言えば東海地震」というように、学問とは無縁の情報が社会に流れることになったのです。
本来、学問には「反政府」などは存在しないのですが、私も政府の政策に反する研究は申請が通りませんでした。その時に、ある高級官僚が「武田先生、実際におやりになる研究は別にして、申請だけは政府に合わせておけば良いのですよ」とアドバイスをしてくれました。つまり、「ウソつき先生」がお金を取ることができるということです。
この「役に立つ研究」の被害者は、第一に日本の子供たち、第二に真面目な研究者、そして第三に国民でした。
日本の学問的研究のレベルは、「役に立つ研究」によって大きく後退し、将来に役立つ研究はほとんどすべてカットされました。なにしろ「現在、役に立つと考えられる研究」にお金がでるのですから、「どうなるか判らない」という研究(もともと研究の8割はどうなるか判りません)にはお金が出ません。
なにしろ申請書に欄のある「何の役に立つか」と「社会への波及効果」を書かないとお金が出ないのです。研究ですから何の役に立つかが最初から判るものは、ややレベルの低いものですから、結果的には研究のレベルはさがりました。当然、真面目な研究者は淘汰されます。
国民は口八丁手八丁の世間的に受けの良い「御用学者」や「ごますり学者」の研究のために税金を払うことになり、審査の機関などの天下り組織の人の人件費も負担することになります。
さらに、今までは「均等」に分配していたのをいちいち審査するのですから、その事務量は膨大で、「役に立つ研究」というのをマスコミが騒ぎ始めた頃、役人は「これはよい、大幅に天下り先が増える」とほくそ笑んだでしょう。
そして、今回のような原発事故が起こると、御用学者は「国民を被曝させる」、「データを出さない」という政府の方針に従いますから、またここで国民が損害を受けることになります。
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冷たく言えば、「研究とはなにか」、「何が将来の子供たちの日本に大切か」をよく考えなかった国民側にあるとも言えるのですが、福島原発事故が起こっても4500億円の原子力開発予算のことが報道もされず、お金も出ないのは、「役に立つ研究」によって日本の学問の中枢がすっかり「御用学者」で固められた結果です。
一つ一つの原発に反対することも大切ですが、それより、その根源にある「役に立つ研究」を撲滅しないと、セシウムの変化も解説されないことでわかるように、日本の将来はきわめて危ないのです。
(平成24年1月21日)