今回の原発の事故が、実は「日本独自の科学的政策」が原因しているということは今はまだあまり指摘されていません。原発に関する日本独自の科学的政策とは次のようなものでした。

 

1) 原発が「危険」で「安全」という矛盾した政策を採り、「安全だが東京のそばには作らず、僻地の海岸線に作る」という方針を採用した。さらに、内陸の乾燥地帯で設計された原発をそのまましようした。

 

2) 従って、震度6にも耐えられず、津波はもちろん「海水面の静かな上昇」でも大事故を起こすような原発が誕生した。多重防御とか、固有安全性というのも言葉だけで実質がなかった。

 

3) 危険なので僻地に作り、さらに危険手当を地元に出しているのに、同時に「原発は安全である」という御札を床の間に貼り、首相から大臣、知事、市長、専門家、マスコミに至るまで「安全」を唱えた。「偉い人がウソをつくのは当然だ」という文化もあるように見える。

 

4) 原発に反対する人もいたが、国民全体としては自民党を支持し(自民党は原発推進)、同時に廃棄物の貯蔵所をいやがった。原発を推進するということは廃棄物が生じることは当然である。

 

その結果、世界430基の原発の内、通常運転時に大事故(福島第一)を起こしたのは日本が最初、また震度6の地震で100%破壊したのも日本だけで、とても恥ずかしいことですが、それは「日本独自」が「科学的根拠を持たない」ということによっています。日本はこれからこの大きな欠陥を修復できるのでしょうか?

 

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しかし、このような科学的政策が「日本独自」になるのは、原発ばかりではありません。空気を大切にする国民性、自信たっぷりに国民を指導するマスメディア、学問よりもお金と栄達を望む東大教授・・・これらの複合作用だからです。

 

 温暖化政策で、京都議定書を締結した1997年を基準にCO2の削減を実施しているのは日本だけ。

 

 リサイクルで資源が節約できるとしながら、「分別した後、まとめて焼却」をしてもリサイクルに分類しているのは日本だけ(ヨーロッパは焼却してもリサイクルに分類するのは不誠実であるとして禁止している。この結果、日本ではリサイクル率が国際的に突出している。)

 

 企業の技術としての省エネ技術ではなく、国民の省エネを強制しているのは日本だけ(アメリカのエネルギー消費は日本の2倍以上で、省エネはしていない。環境を大切にしているという北欧のスウェーデンも日常生活では省エネを強制していない。「石油石炭がまもなく無くなる」というのも日本独自。)

 

 「元気で長寿」という状態が生まれれば(日本は寿命は世界一)、高齢者の人口は増えるのだから、社会的な負担が増える。人口分布の変化を科学的に計算せずに年金を運営し、大きな赤字国債の要因の一つとなる。

 

 赤字国債を大量に発行し、国の借金は世界一になり、そのお金を補助金に出して民間活力をそぐという科学的に見て不合理な政策を続ける。

 

これらの一つ一つには膨大な「利権にもとづく屁理屈」がついているので、なかなかそれを無くして明るい将来性のある日本を取り戻すのは時間がかかりますが、少しずつでも「あまりに日本独自」という政策を見直す時でもあると思います。

 

(平成24114日)