「ゴミを減らすと環境が悪くなる」というと、多くの人がビックリして「ゴミが増えれば」の間違いではないですか?と言われます。でも、本当は「ゴミが増える」ことが「環境を良くしてきた」のです。

 

このことの本当の理由はこのブログでも何回か書きましたが、なぜ、多くの人が「ゴミを減らすと環境が良くなる」と考えたのかといいますと、「心の問題」を「科学の問題」にすり替えたマスコミの誘導に引っかかったにすぎません。

 

人間の一生を幸福に過ごす条件の一つに「節約する」というのがあります.贅沢はすぐ心をお金に奪われて人生を見失いますが、節約は人に考える時間ときっかけを与え、その結果、充実して幸福な時を過ごすことができます。

 

イエス・キリストが「貧乏は神に近く、裕福は神から遠い」と言われたのも同じ意味です。人間の心は弱く、お金が手に入ると心を失っていく、つまり{心+お金=一定}というような関係にあるのです。

 

だから、「節約」とか「もったいない」というのは実は「心」の問題で、そのような生活をした結果、「環境」という科学がどうなるかは別問題だからです。環境は、空気の中の不純物、水の清浄さ、食品中の毒物、あるいは放射線量などですから、「心」とはまったく無関係です。

 

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ところで、人間が生活すると自然を破壊しますが、あまりひどくなければ自然は自然の治癒力で人間の汚したものを始末します。でも、現代の人間の活動は自然の治癒力を遙かに超えているのです。

 

今から200年前のイギリスで、現在の日本人の500分の1の物質消費量になったとき、自然は破壊を始めました。だから、日本の自然に人間の活動のゴミを片付けて貰うためには、生活を500分の1にしなければならないのです。

 

そんなことは到底できません。日本の人の10人に9人は死んで貰い、水洗トイレ、冷蔵庫、自動車、新幹線、携帯電話などを一掃しなければ500分の1にはなりません。

 

今の日本の環境が素晴らしいのは、産業が物を作り、それを販売して利益をえて、その利益で日本人のゴミ(汚れ)を自然の代わりに綺麗にしているからです。つまり、ゴミを出す(=購買量が多い=企業が収益をあげることができる)から環境が綺麗になるというのが「科学的事実」なのです。

 

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私がこれまでこのようなことを言ってきたのは、「事実を直視する勇気」が大人になければ、子供は守れないということですが、その一つが今回の原発事故になりました。地震は東海地震だけではなく、原子炉が耐震・耐津波設計をしていない、救命ボートもないという事実に目をふさいでいたのです。

 

さらに、現在でもなお「原発は安全だ」、「1年1ミリの被曝の規定は意味ない」などと言っていますが、すこしでも子供たちの被曝を減らすために、ここでもう一度、あらゆる面で私たちは事実を見る勇気を持つべきです。

 

(平成231126日)