校長先生、校長先生ですから日本人を被曝から守る法律がいくつもあり(たとえば原子力なら原子炉等規制法、放射線なら電離放射線障害防止規則など)、それはいずれも1年1ミリと被曝限度が決まっていることをご存じと思います。

 

事故の直後は、あるいはご存じなかったかと思いますが、事故から8ヶ月経ちましたから、ご存じと思います。そしてこの1年1ミリが「内部被曝と外部被曝を足した1年間すべての時間の合計」であり、その中で児童生徒に及ぼす学校の影響が大きいこともご存じと思います。

 

問題は「ダブルスタンダード」であることです。たとえば文科省は1年20ミリと言っていますが、これは「暫定」がついています。また給食などに使う食材はセシウムだけで1年5ミリですから、常識的には1年10ミリです。従って、児童生徒は学校にいて給食を食べると1年30ミリになり、そのうち、1日の3分の1を学校にいるとすると、1年10ミリを浴びます。

 

110ミリとは1年に胸のレントゲン200回分です。

 

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もう一つ情報を提供します。それは、成人男子(児童生徒より3倍は被曝に強い)でも1年5ミリ以上の被曝で白血病になると労災が適用され、原子炉作業員(成人男子)は2000年から「被曝は危険」ということで平均1年1ミリにされていて、それで増えた電気代は児童生徒の親が電気代として払って来ました。

 

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関東、東北の学校の校長先生の動きを見ますと、いずれも「1年30ミリの暫定基準の方を採用する」というお考えのようですが、ダブルスタンダードの時代に児童生徒の健康を預かる校長先生がなぜ、被曝量の多い方の基準を採用されているのでしょうか?

 

日本には「法律や電力が定めている1年1ミリ出なくても良い」という学者などが存在することは確かですが、もともと学校は児童生徒に「法律や学校の規則を守るように」と呼びかけて、教育をしているのではないでしょうか? 学校で1年1ミリを守ることはできますし、できなければ疎開をさせなければなりません。

 

ある学者が「酔っぱらい運転でも年間200人しか犠牲にならない。だからお酒を飲んで運転しても良い」と言ったら、校長先生は法律や規則を無視してそのように教育するのでしょうか? 被害が大きいか小さいかではなくもっとも重要なのは社会の規則と納得性です。

 

お母さんは「今まで法律でも原子炉作業員でも1年1ミリなのだから、それ以上の被曝は子供の健康に不安」と言っておられますが、それが理解できませんか? 「被曝は平気」という親もいるでしょうが本来は校長先生が平気と言っている親をご指導される立場ではないでしょうか?

 

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日本の子供はお母さんの宝であるとともに、日本人全体の宝です。家庭ではお母さんが必死に子供を守っておられる重要な役割を負っておられるのですから、学校では校長先生が身を賭して児童生徒を被曝から守り、あわせて「遵法精神」を子供たちに教育してください。

 

私から見ると、校長先生は法律や社会道徳(子供にはできるだけ被曝させないように努力する)というより、日々の仕事に疲れ、面倒なことはしたくないと思っておられるように感じられます。それなら子供たちも「疲れたから規則を守りたくない」というのと同じレベルになってしまいます。

 

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ある講演会で「給食を担当しているのですが、保護者から心配だと言われます。そうかといってベクレルを測定する訳にもいかず、困っています」という質問がありましたので、「保護者のかたのご心配はまともです。測れないなら給食を出さないでください」と答えました。

 

セシウム137の経口致死量は青酸カリの1000倍以上です。つまり毒物が入っている可能性のある食材を給食に出す、その理由は毒物でも何でも給食を出すのが使命だからという間違った認識ではないでしょうか。わたしは「とにかく給食を出すのが私の役割」と思い詰めているような感じがしました。

 

また給食を心配する子供にいろいろな形で教育者がいじめを行っているようですが、むしろ子供たちが給食を心配している子供(親)をいじめることはいけない、人は自分で自分が食べるものを選ぶ権利がある、理由があれば給食を食べないことはもちろんかまわないと教育していただきたいと思います。

 

(平成231114()