狩猟民族はつねに頭を巡らすと言われます。それは狩猟する相手がクマでもシカでもどう出てくるか判らないので、常に頭を柔らかくしておかなければ獲物をとることができないからと言われます。ヨーロッパ人(アメリカ人)は狩猟民族とされます。また、勝ち負けがハッキリしていますから、どうしても競争を大切にします。

 

それに対して、農耕民族は毎年、同じことをしてむしろあまり頭を巡らしたりすると大失敗をします。それに太陽や気象の影響をうけ、それは人智の及ぶところではありません。いきおい、おとなしく地味でコツコツと働く人たちになります。日本人や中国人は農耕民族とされます。また勝ち負けよりも安全に協調して生きることが大切になります。

 

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もう一つ、考えなければならないことがあり、それが「国家」です。国家とその民族の性質についてはシアターテレビジョン「現代のコペルニクス」で宮脇先生と何回かの対談をしていますが、国家がある民族と無い人たちでは大きく性質が異なります。

 

たとえば、日本は四面を海に囲まれ天皇陛下をいただいて「国」としての体裁、実質を備えていましたが、中国は「地域」はあっても「国」はありませんでした(話せば長くなるので、現代のコペルニクスを参照してください)。だから中国の人は自分の身は自分で守る必要があり、都市や村落は城壁に囲まれ住民は「城壁の中」に住んでいたのです。これに対して、日本は「国」で守られていたので、国民は自らを守ろうとせず、城壁の中には殿様だけがいるという世界でも特別な状態を作っていました。

 

ヨーロッパも基本的には「王族の支配」が続き、「国」ができたのは200年ほど前とした方が良いでしょう。ハフスブルグ家の支配、ブルボン家の領土に領民が住んでいるということに近く、さらに国境が陸続きでしたから、ある時にはどの国、また戦争があると別の国になることもありました。

 

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つまり、現代日本というのは、「農耕民族」で「国家」だった国が、突如として「狩猟民族」と「個人単位」の文化とシステム(ヨーロッパの文化)を取り入れた・・・それが戦後日本とも言えるのです。その大きなひずみが「小泉・竹中路線の改革」だったと考えています。

 

このことで考慮しておかなければならないのは、岸田秀さんがご指摘になっているように、根本的に異なった文化を受け入れざるを得かなった明治維新が日本人の心を裂き、異なった価値観を2つ同時に受け入れるようになったということです。この学説は必ずしも万人が受け入れるものではないと思いますが、私も同じような考えです。

 

クリスマスにはキリスト教、正月には神道、続いてお寺周りでは仏教と融通無碍なのは、「なんでも受け入れる日本人」だけではなく、明治維新における価値観の分裂があるのでしょう。

 

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今回の東北大震災、福島原発事故の深層に思いをはせると、「農耕民族国家」が「個人単位の狩猟民族」が創り出した現代科学を咀嚼でいなかったということが最大の原因だったと思います。

 

明治以来、日本は独立を果たし、戦争をやり過ぎましたが、有色人種では唯一、軍事と政治で独立するという離れ業をしました。でもこの大きな断層が理論的にも解決されず、戦後もぎくしゃくした社会になっていると思うのです。

 

今回の東北大震災と福島原発事故を受けて、電力会社のシステムや原子力、科学といったものも考えなければなりませんが、より深く日本人の本質にも触れなければ解決はしないと思います。

 

(平成231113日)