(医師が1年1ミリより多くても大丈夫といわれたときには、単に言葉だけではなく、「被曝によるガンの確率」と「治療や検査しないときのリスク」について数字で聞いてください。以下はその時の理論武装です。)
放射線医療関係者は次の2つを知っている。まず第一に、2004年に世界的に有名な医学雑誌に「日本の放射線医療は被曝レベルが高い。医療によるガンの発生は欧米の4倍と考えられる」という論文が出たこと。
第二に、医療に被曝が許されているのは、医師が「被曝の損害より、治療の効果が高いこと」と判断する場合に限定されることだ。そして、「被曝の損害」は担当医師が判断するのではなく、法律に定められた一般公衆の被曝限度1年1ミリシーベルトが基準になる。
この図にあるように「医師という専門職」が「治療のために他人の体を傷つけても良い」という特殊な権利を持っているのは、「個別の医師の判断に基づく治療は禁止される」という前提がある。
たとえば、ある医師が「安楽死は正しい医療だ」と考えても、専門家の組織である医師会か国民の意思を代表する国会などの必要な機関が認めないと医療には使えない。安楽死は特別なケースだが、どんな医療でも、医師が「一人で判断して患者の了解無く」新しい医療を施したら、それは「人体実験」として厳しく糾弾される。
この世の中には「専門家」として特殊な権利を有している集団がいるが、それらは弁護士にしても医師にしても、教師にしても「自分勝手な判断」は禁じられている。法律を作る人、治療法を確定する人、真理を追究する人は、社会の人に直接、関係を持っていない場合に限定される。
弁護士が自分で法律を作って相談したり、医師が勝手に治療法を開発して医療をしたり、教師が自分の意見を生徒に教えたりしてはいけない。それは「専門家の倫理」として厳に戒められていることだ。
患者さんに対して「この治療や検査を行うことは必要だ」という判断だけで、患者を被曝させてはいけない。被曝による損害と治療や検査によるメリットを患者にしめし、それが納得されれば、レントゲン、CTスキャンなどが可能になる。あくまでも患者の意志による。
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この二つのことから、「1年1ミリシーベルトでなくても良い」と言っている医師などの放射線医療関係者は、1)社会に対して直接、行動をしてはいけない研究者が錯覚しているケース、2)「医師だから患者の健康については全権を有していて社会的合意(1年1ミリ)を無視して何でもできると錯覚しているケース、の2つが見られる。
節度ある医師、尊敬される医師としての言動を求めたい。
まず医師は患者に対して放射線治療や検査をする場合、「1年1ミリで1億人に新しく5000人のガンの発生」という「社会的合意」と、患者の状態を比較するべきであり、「被曝の影響」を独自に判断してはいけない。
まして、「検査をしておいた方が後で文句(医療過誤)を言われないですむ。それから見るとがんと被曝の因果関係はつきにくい」などという姑息な気持ちを持ってはいけない。医は神聖なものである。
繰り返すが、放射線治療の医師が「自分は1年20ミリまで大丈夫」と考えるのはよい。でも、それが社会的合意にならないと自分は判断できないという謙虚な気持ちが必要だろう。そうしないと「風邪を治すためには右手を切り落とした方が良い」などという独自の判断での治療が進んでしまう。
私たちは札幌の心臓移植、四国の臓器移植、神奈川の安楽死などの医療事件を経て、社会は「医師の神の手」を拒否してきた。これらのことがを通じて社会と医療の関係について一定の進歩をしてきたが、まだ放射線医療の方では認識されていないように見える。
(平成23年10月30日)