トキを絶滅から救うことはトキにとってとても残酷なことだと私は思い、小学館から「生物多様性のウソ」という本を2011年に出した。本当は「トキは逝ってくれ」という題名にするところだったが、刺激的ということでややおとなしい題になった。
生物はその長い歴史の中で繁栄と絶滅を繰り返してきた。(このブログに貼り付けた図はクリックすると若干大きくなります。)
この図からも判るように、5億5千万年前に誕生した多細胞生物は、古生代、中生代を経て現代に至っているけれど、誕生と絶滅を繰り返し、その間に生体の防御能力がついてきた。紫外線や放射線で言われるホルミシス効果も絶滅によって獲得してきた能力である。
その時代時代には、その時代の環境にもっとも適応した生物が繁栄する。古生代なら三葉虫やアンモナイト、中生代の恐竜、そして新生代の人類などがそれに当たる。そしてその時代の支配的な動物が自らその競争力を放棄した例は無いと思われる。
つまり、恐竜が繁栄していた頃、恐竜が「こんなに恐竜ばかりになったら自然を破壊する」とか、「俺たち以外の動物が絶滅するのは許せない」などと考えるはずもない。自然や生物界というのは競争力の強いものが繁栄するのを「良し」とするようにできている。
そして三葉虫、アンモナイト、恐竜はすべて「繁栄しすぎて絶滅した」のではなく、古生代と中生代の間に起きた第氷河時代と隕石の落下によって滅びたと考えられている。「発展しすぎて滅びた」生物は見あたらない。
私たち現代人も、前のネアンデルタール人が11万年続いた前の氷期を乗り越えられずに絶滅した結果として登場してきたのだ。最近、ある地域のサイの絶滅が話題になっている。サイは現代の哺乳動物の中でも比較的古い種で、その絶滅は時間の問題でもある。
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「人間だけは他の生物と違う。人間には知性がある」と言うけれど、それは私たちが人間だからそう思うだけで、やはり多くの生物の中の一つだろう。このように考えるのはあまりにも傲慢な気がする。
そうすると、人間が都市を造り、畑を耕し(里山)、動物を飼育するのは特に「悪い」ことではないのではないか。そして1300万年後の次の隕石が落下するときか、あるいは生物の活動の元であるCO2が2000万年後に無くなってしまうか、どちらかまで大いに繁栄したらどうだろうか?
生物の絶滅が自然を破壊するという考えはあまりに浅薄なように感じられる。いずれにしても1000万年から2000万年ぐらいで人類は絶滅する可能性が高いのだから。ひさびさ、音声あり。
(平成23年10月27日)