技術士の「原子力部門」を作った委員の一人として、私は少し前に「専門家の系列」の図を出しました。この図に関していろいろなご意見が寄せられました。

 

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それがこの図ですが、「王―法学者―弁護士」の系列では「王」ではなく「法」、「正」ではないかとの意見もいただきました。実は、最初に私が書いたときは宗教も入っていましたので一番上は、「神、王、命、真」というように絶対的なものだったので、その名残がのこっていました。確かに「王」より現代社会では「社会の約束」とするべきかも知れません。2語で納めるとしたら「約束」でしょう。

 

また、教育のところでは「知―科学者―教師」と書きましたし、また「教師は自分が正しいと思ったことを教えてはいけない」としましたので、「教科書によって教育を行う」と理解された先生からもメールをいただきました。

 

実は、この系列図には2種類があります。先日の図は「人」を中心にしたもので、もう一つは「システムに重点を置く」というものです。それを次に書きました。

 

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このように図に整理すると、少しのことでも考えなければならないことに気がつくとともに、日本人の多くのコンセンサスになるまでにまだまだ時間がかかりそうなことも判ります。第一列(左)は「法―国会―弁護士―司法試験」と書いてみました。社会を構成する人のお互いの約束を「法」とすると、その条文を国会が決め、弁護士が勉強して社会で起きるトラブルに対します。

 

弁護士は独立した資格として社会が認めるので、国家試験(司法試験)を経なければなりません。また弁護士は原則として身分が保障されていて、本来なら「弁護士会(専門家の集団)」だけが資格の剥奪ができるのが歴史的な経験です。

 

そして一番右の4列目に「知―日教組―教師―教員試験」という列を書いてみました。「知」の下は「学会」が来ることも考えられますが、理想的には学会が学問的な知を定めたら、それに基づき教員の集合体である「日教組」のような組織が「教えること」を決め、それを教師が児童・生徒に教えるというのが本筋でしょう。

 

また、教師も公的な専門職ですから、国家試験(教員試験)があります。大学教授の場合は、「博士」と「教授会」がこの役割を果たしていますが、まだ中途半端であまり厳密には守られていません。また教育は「知」ばかりではなく、「知・情・体」のすべてを教えるので「教」とする方法もありますが、「教える」というのは手段ですから、ちょっと違和感があります。

 

現在の教育は「知―文科省(教科書)―教師」となっていて、文科省は主として役人であり、文科省の大臣一人で「教育界を代表している」とは言いにくい面があります。また教科書が「知」から離れて政治の道具になることもしばしばですので、欠陥だらけということがわかります。

 

また、戦後、文科省の統制に対して日教組が政治的な言動をとったことで混乱しました。「教師」という専門職の身分を保障し、教えることを決めるシステムはまだ日本には概念すら定着していないことも判ります。今度の福島原発事故では「校長先生とはいったい何か?」もハッキリしていなかったので、校長は「文科省が言うことを聞く。子供の健康は考えない」という態度に出たのだとおもいます。

 

ところで、このブログでの当面の課題は「専門職でもない東電の社長が、原発という巨大技術でかつ国民に大きな影響を与える行為をなし得るか」、「原発の安全設計は日本原子力学会が行うのか、個別の私企業が行えるのか」などを考えることですので、この辺で教育の問題は別の機会にしたいと思います。

 

(平成231021日)