(読者の方からご心配をいただいているので)

 

原発事故については、いろいろな情報がネットを中心に発信されていますが、発信者が「専門(この分類が難しいが)かどうか」より、そこに書かれたことが「まともで真面目で前向き」かどうかが問題で、その発信内容で判別する方法を書きました。

 

原則としては、「そこに書かれたことの背景、歴史、経緯、根拠、データなどをしっかり説明し、全体像を明らかにしながら述べているもの」はOK。相手の人格の批判が中心だったり、相手の意図を憶測したり、言葉使いが普通には使わないほど汚なかったり、そして文章があまりにも激しい・・・などは信用できないと言ってよいでしょう。

 

たとえば、最近、私(武田)に関することで実例を挙げて説明します。

 

まず一つは、「私の郷里の山形では、舌先三寸で世の中を渡っていく口のうまい奴を“ベロ屋”と言います。これ以上ない軽薄な人間のことですが、よくテレビでしゃべっている中部大学教授とやらのあなたを典型的なベロ屋だなと私は軽蔑して見ていました。」というものがありました。書いたのは高名な人で、媒体は販売部数の大きな全国的な週刊誌のコラムです。

 

私の記述のどこに問題があるかを書くのではなく、まずは私の人格攻撃から始まっていました。学問は難しいので私もたいした学問的業績は上げていませんが、一応、所属する学会や大学から研究や教育を評価され、学術論文を出してきました。決して「舌先三寸で世の中を渡っていこう」としたわけではありません。

 

ここで私が弁明しようと言うのではなく、なぜこの著者が私が人生で「舌先三寸で世の中を渡ってきた」と判断したのか、そこを少しでも書いてくれればまだよかったと思います。

 

書いた人が学力も知識もある立派な人、載っていたのが有名な週刊誌ですからビックリしましたが、このような人格攻撃が主体の場合は「怪しい」と思って良いでしょう。あまり参考にしないようが良いと思います。人格攻撃をしたために書いてある内容が信頼を失ったのではないかと思います。

 

また、別の有名な方ですが、「理科系の大学教授(一見すると専門家に見える)の肩書きででたらめな話をしている武田邦彦氏は、あまりにもひどいので放置できない。」というのもあり、ここではでたらめな話の反駁として「原発は核爆発しない」、「1年1ミリには科学的な根拠がない」、「セシウム137は青酸カリより安全」ということが書いてありました。でも、いずれも科学的にはこの指摘は誤っていると考えられます。

 

まず「専門家かどうか」ですが、私は20年ほど原子力の仕事をして、20年ほど大学教授、そして原子力関係の国の委員も長くやってきましたから、「専門家(定義が難しいが)」ではないかと思います。

 

また科学的な指摘の誤りはこのブログにすでに書いてありますが、この方がなぜ誤ったかというと、おそらくは人格攻撃を先にしたので、その後に筆が滑って論旨が乱れたのでは無いかと思います。原発が核爆発するか、被曝と人体、それにセシウムの毒性などはいずれも「科学」の問題ですから、私の肩書きとか性質かというのは本来、関係が無いからです。

 

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常識も学識もありテレビにもでるような知識人が、「ベロ屋」とか「理科系の大学教授(一見すると専門家に見える)の肩書」というようなことを書いて良いのでしょうか? その人の「見識」とは「相手は相手が考えることがあり、それは必ずしも自分とは一致しない」ということを知り、「学問」とは「私たちは何も知らない」ということを知っていることです。

 

批判も良いのですが、論の中心はあくまで自分が考える正しい情報、正しい解釈を伝えることで、特定の人を侮辱したり、回復せざること(性別、生まれ、履歴など)を批判の対象にしてはいけないということも思い出してもらいたいと思います。

 

御用学者も困りますが、お二人とも評論の経験の豊富な文化人ですから、より紳士的(武士的)になっていただくこと、多くの方の見本になるような論述を期待します。私は自分の所属する組織(政府、自治体、NHKなど)の言動については批判させていただき、個人の批判は特別に地位の高く決定権を持っている人以外は控えるようにしています。

 

またこのような人格攻撃に対して、読者の方からご心配をいただきましたのでブログで説明をしましたが、私は個人的にはあまり気にしていません。そして、現在は、いかにして子供を被曝から守るかがもっとも大切で、少しでも知恵があればその目的に沿って行動するべきと思っています。ネットの多くが前向きな議論になれば、日本は明るく、発展性のある社会になると思います。

 

(平成231016日)