平均年齢は2倍、3倍となり、夜も自由な時間になり、さらに効率もあがりました。100年前と比べて人生は何倍かになったのです。
それでもなお「科学が発達しすぎている」、「薬害で苦しんでいる」、そして「原発なんかやらなくても良い」、「昔の方が良かった」と考える人がおおいのはなぜでしょうか? 人生が8倍になり生活が楽になったのに、なぜ、昔の方が良いのでしょうか?
もちろん、多くの人が考えることは、情報が正しければ理由があります。
第一に何事も「長所と欠点」があり、科学の欠点をおろそかにしたこと、第二に「人間は慣れてしまえばありがたみを忘れる」ので科学が提供してくれることを忘れがちになること、そして最後に「本当はどんな生活でも幸福感にはあまり差がない」ということでしょう。そのそれぞれを考えながら、現代というものを科学の目から見てみましょう。
どんなものにも長所と欠点があるように科学にも良い点と悪い点があります。良い点としてはたとえば「麻酔をかけて手術をする」ということです。かつて麻酔のない時にはどんなに痛くても手術しなければなりませんでした。それは気を失うような痛さだったでしょう。
でも、科学が発達すると麻酔が発達して痛みを感じることなく手術や処置を受けることができるようになりました。
でも、同時に原爆のようなものができて、何の罪もない子供を大量に殺戮したりしました。科学にも長所と欠点があることぐらいは中学生なら理解できるでしょう。そして人間にはしてはいけないことがあるということも「法律」や「倫理」というのがあるのですから、これも当たり前のことです。
だれが考えても、「戦争をして人殺しをしてはいけない」とか、「原爆を作って一度に10万人を殺してはいけない」というのは当たり前のことです。でも、人間の頭は「屁理屈」を考えることができる名人でもあるのです。
たとえば、今、世界には人類を500回ぐらい皆殺しにすることができるだけの核兵器があります。なにしろ世界の人を全部、500回も殺すことは考えられないことです。しかし、それが現在の世界の現実であることを考えると、このことは理科系の「科学」の問題ではなく、文化系の「政治、倫理、人生観」の課題であることが判ります。
人類を500回も殺すことができる核兵器をもつのが「もっとも良いことだ」という理屈があります。まったく考えられない理屈です。人類を1億人殺害するのでもあってはいけないことなのに、500回殺す兵器を持つことが「最善のことだ」ということになるのですから・・・
その理屈とは「ものすごく核兵器を持っていると、相手がびびって戦争を仕掛けてこない」という論理で、これを「抑止力」と言う難しい言葉を使います。実に変な理屈ですが、何しろ原爆を作って軍隊をもつのはとても「儲かること」ですから、なんとしても屁理屈を作って核兵器を大量に持とうとするのが人間というものです。
「抑止力」という考えを創り出したのはアメリカやヨーロッパの人たちです。彼らは「自分たちを正当化する論理を組み立てる名手」で、どんなことでも正当化することができます。そしてその理屈は精密で隙がないので、なかなか論理的に攻めることができないのです。日本でもいわゆる「外国かぶれ」の人に多いのは彼らの論理に陶酔してしまうからです。でも、普通に考えれば「人類を皆殺しにする兵器など要らない」というのは明らかなのです。
なぜ、「抑止力」という変な論理で納得するのか、それこそが2011年の福島原発事故の原因でもあり、薬害などで苦しむ人の憎っくき敵でもあるのです。この正体を暴かないと「見方であるべき科学技術」は容易に敵に変身してしまいます。
(平成23年10月5日)