フォードピント事件のことをこのブログで書きましたが、「欠陥車と判っても、リコールするより死亡見舞金の方が安い」というように「命とお金」、「心とお金」を比較することは現代社会では成立しないことになっています。

 

交通事故でも「万全を期しても事故が起こる」のは仕方ないにしても、「事故が起こる欠陥車を売る」、「事故が起こる可能性が高くなる飲酒運転をする」というのは禁じ手なのです。交通事故(過失)で犠牲になる人が5000人もいるのだから、酔っぱらい運転(故意)の犠牲者は50人だから問題にしなくて良いとか、タバコを吸う(意志あり)のガン発生に比べると子供の被曝(意志なし)は小さいという議論も禁じ手です。

 

ところで「増え続ける医療費を下げるためにメタボの規制を強制する」とか「医療費を下げるために禁煙にする」というのは「あり」でしょうか? またこの問題はフォード・ピント事件、酔っぱらい運転などとどこが違うのでしょうか? 

 

まず、人の健康を増進すると医療費が下がるかという問題を考えてみます。どんなものを考えるときでも、考える対象の中に含まれる一つ一つの論理や事実を確認していく必要があります。不思議なことに「よく考えることができる人」は謙虚で一つ一つを取り出して考えますが、「おおざっぱに考える人」は考えるのが苦手なのに難しいことをいっぺんに片付けようとします。面倒なのかも知れません。

 

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表を見ていただきながら、この問題を考えてみたいと思います。平成18年度の日本の医療費を年齢別に整理したもので、0歳から65歳までと、65歳以上のお年寄りの医療費を比較しています。

 

65歳まではあまり医療費はかからず、一人あたり15万円ぐらいです。詳しく言うと子供のころと50歳を過ぎると少し多いのですが、それでもあまり大きくは違いません。それに対して65歳を過ぎると体にガタが来るので、急に病院通いが多くなり一気に66万円になります。また平均寿命に近づいてくると82万円になることがわかります。

 

医療費は増え続けていますが、それは「国民が太ったり、タバコを吸ったりするから医療費が増える」のか、それとも「長寿になったから医療費が増えるのか」について慎重に考えなければなりません。

 

この統計の反論としては「メタボの人の糖尿病を治す医療費や喫煙者の血液障害を治療する医療費」が多いというデータがあげられますが、やせていてタバコを吸わなければ何の病気にもならなければ別なのですが、人間は歳をとると何らかの病気にかかります。だから「メタボの人は糖尿病になるから治療費がかかる」からメタボを追放するということになると、その人はやせることによってより長生きしますから、ここに示したデータでは医療費はさらに多くなることになります。

 

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むしろ問題なのは、人の命と医療費をこのような考えで整理して良いのか?ということです。お医者さんは寿命を延ばそうと必死に働いておられますが、それは正しいのです。人間が病気を直したい、長生きしたいと強く希望する限り、医師という専門職はそれに応えなければなりません。

 

その意味で「メタボより適正体重の方が長生きする。禁煙の方が長生きする。でも医療費はその分だけ増える」というのが正解でしょう。医師が医療費の削減を頭にいれて治療をするというのはかなり危険です。おそらく医療費を下げるのは65歳ぐらいの人が病院に来たら医師が治療を怠るというのが一番、早道だからです。

 

まだ結論を出したわけではありません。今回の被曝の問題は「除染する費用と発がん」を比較する議論が多いのですが、それをフォードピント事件、メタボ対策と比較して私たちのこの複雑な社会でどのような考え方をとるべきか、それが問われていると思うからです。また、この問題は教育現場でも同様に重要な課題で、日本社会の基本的な倫理観を確立する必要がある時期でもあります。

 

「takeda_20111001no.191-(6:03).mp3」をダウンロード

 

(平成23101日)