必要があって大学で「技術者の倫理」を教えている。2011年の原発事故もその原因のいったんは技術者(耐震技術、防潮堤、非常時の防御など)に深く関係している。現代社会で技術者が正しい倫理観をもって業務にあたるのはとても重要だ。

 

講義では技術者としては何を「正義」とするかという話をするのだが、初めて聞く内容なので多くの学生がビックリする。

 

内容は簡単で、

 

1) 自分が正しいと考えるものは、正しいとは限らない、

 

2) 「正しい」というのは、神様、偉人、相手、法律で定まっていることだけと考えて良い、

 

3) 日常的な規則、規律などはそれが「正しい」ということまで吟味されていない、

 

ということだ。そして「もし、個人個人が正しいとすると人の数だけ正しさがある」、「民主主義では相手の正しさを「正しいのではないか」と認めることだ」という話をした後、技術者の正しさは第一に「相手が正しいと思うことだ」であると話す。「ブレーキがきく車が良いですか、効かない方が良いですか?」と聞けば、相手は「それは効いてくれなければ困る」と言うだろう。その時にはぜったいにブレーキが効く車を生産しなければならない(事実、ブレーキが効かないことを知っていて販売した例がある)。

 

倫理の黄金律には、「相手のイヤなことをしない」という静の黄金律と、「相手の好むことをする」という動の黄金律がある。それを教えた後、「技術者は常に相手に聞いてその希望を叶え、社会で合意した法律に従う。決して自分で正しいことを決めてはいけない」と教える。

 

技術者は、航空機を作り、ビルを建設し、機械を設計する。それには「学問的に明らかになっていることを勉強し、長期間鍛錬し、相手の希望を聞き、法律に基づかなければ危険なものを社会に提供する」ということになるからだ。

 

技術者は厳密でなければならない。「こんなものを作りたい!」と思っても決して作ってはいけない。それによって生じる災害を個人で克服することは困難だからである。具体的なこれまでの事故の事例、その中で何を人間が間違ったのかについて丹念に学生に講義をする。そして時には次の絵を見せて、学生に回答を求める。

 

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「この絵はソクラテスが毒杯をあおいだ時の情景を描いている。ギリシャでは街頭で議論することが禁じられていて、哲学の父、ソクラテスはそれに反したとして死刑の宣告を受ける。ソクラテスを死刑にすることはどう見ても不合理だったが、ソクラテスは「悪法も法なり」との言葉を残して弟子が差し出した毒杯を飲んで死んだと伝えられている。このことを現代の具体的な技術事故の事例を引いてその適否を論じよ」

 

法は社会的な約束である。それが間違っているとしても、法を改正してからにしなければならない。また人の見えないところで法をくぐれば良いというものでもない。技術者はその使命を全うし表裏なく倫理的に仕事をしてもらいたいと私は言う。

 

今回の原発事故で技術の倫理は守られたのだろうか? それとも各自が「自分の正義」を声高に叫んでいるだけだろうか? 秋学期が始まり、また学生に考えてもらわなければならない。

 

「takeda_20110927no.166-(8:01).mp3」をダウンロード

 

(平成23926日)