原発事故から6ヶ月。福島原発はともかくとして、そこから飛散した放射性物質の量は実に80京ベクレルから100京ベクレルにも達します。5年前、大騒ぎをした新潟刈羽原発の事故の時の漏洩量が3億ベクレルだったことを考えると、実にその30億倍ですから今回の事故のすさまじさが判ります。
事故直後、発電所から地元への通報体制がなっていなかったことも判りましたが、次に政府が、「遠くに逃げろ」と「直ちに健康に影響がない」との2つの誤った情報を流し、それによって多くの国民を被曝させました。特に放射線の健康障害が「急性」になることはよほどのことですから、「直ちに」という表現は不誠実極まりもなかったのです。
東大とハーバード大をでた経産省のエリート中のエリートが正式記者会見で「基準値の3355倍だが健康に影響はない」と言いました。その本人はやがて高級ホテルを舞台にした不倫で退場します。現代のいわゆるテスト競争に勝つ人たちというのがいかに魂が汚れ、心の無い抜け殻人種であることがわかります。自分の身を守るために日本の大地を汚し、子供たちを被曝させるのに何の躊躇も無いのです。
今度の原発事故を「生活」の面から見ると、最初からボタンの掛け違いでした。政府の中枢部や東大教授が「どうしたら国民を被曝から守るか」ということを考えれば、気象庁が風向きを出し、文科省がSPEEDIを公開し、避難用のバスを手配し、速やかに国民を非難させ、公務員とボランティアを組織して除染作業に当たることはきわめて容易だったのです。
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その後、本来なら子供を守るために必死になるはずの文科大臣が「20ミリ(400回のレントゲン)まで我慢しろ」と言い、教育委員会がそれに追従するに至って、国民は自衛に切りかえました。その中でもお母さんの動きが速かったこと、男性は「ばかやろうおじさん」に代表されるように、子供を被曝させる側に立ちました。
4月は、3月に漏れた放射性物質が風に流されて3方向にながれ、まだ空気中に飛んでいました。この頃、空気中の放射性物質が家庭の中に入り込んだのですが、政府の誤報もあって、お母さんは「家の中を拭く」ということに思い至りませんでした。そこで私は「粒がある」、「花粉のようなものだ」、「水拭きが有効だ」、「赤い粉がある」、さらには「悪い奴がそこにいるのだ」と繰り返し、お母さんは床や壁を拭いてくれました。
それによって室内の放射線量は平均して3分の1ぐらいになり、子供たちの被曝量も3分の1になったのです。中には芝生をはいだり、家具を捨てたりした人もおられますが、なにしろ放射性物質を身の回りから少しでものける必要がある時期でした。
今でも基本的には変わっていませんが、4月から5月にかけて、専門家や自治体が「除染しなければならない」と指導してくれれば、日本人の総被曝量はかなり減ったでしょう。私が個人で呼びかけても限界がありますし、自治体が「何もしなくても良い」と繰り返したのは法律違反でもありました。
5月に入ると、放射性物質は地面に落ち、私は「お子さんを外出させるときには手を引かずにだっこして」と呼びかけました。浅草の空間線量が0.2マイクロまで落ちても、地面は10倍もあったからです。それと同時に地面に降った放射性物質は、野菜を汚し、水道に検出されるようになりました。
6月になってもまだ自治体は「1年100ミリでも健康に影響がない。1年1ミリというがどの法律に書いてあるのか!」と市民を罵倒していました。もしかすると半減期が8日のヨウ素が減少するまで頑張る(市民を被曝させる)計画だったのかも知れません。
7月、8月になって放射性物質は地面に落ち、ホットスポットも明らかになり、ようやく法律も理解され始めました。今では、1年1ミリが法律の規定であり、他のものは政府が非難や除染をしたくないから決めた値であることが判ってきました。
そして半年たって私たちは子供を守る長い旅に出ようとしています。原子力をやらなくても日本のエネルギーに問題は無かったのですが、私たち大人(特に私のような原子力に関係した人)の責任は重たいのですが、その失敗を子供たちに負わせることはできません。
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生活の原理原則は次の通りです。
1) 汚染マップを覚えて、汚染の近いところに近づかないで何気なく被曝量を減らす、
2) 内部被曝は打撃が長く続くので、食材に十二分に注意する、
3) 東北の人も一緒になって「東北を助けるのは被曝するのではない」、「汚染を全国に拡げてはいけない」という点で一致協力すること、
4) 限定的な地域にある汚染物質を拡散しない(花火や瓦礫に象徴される)、
です。長期戦ですから、あまり肩の力をはらず、「被曝は怖くない」と言う人とはあまり激論せず(結果が問題ですから)、継続的に法律を守ることを求めて行くことと思います。
日本が幸運なら、日本の大地は交換が早いので、チェルノブイリの5倍ぐらいのスピードで自然の除染が進む可能性もありますし、政府や自治体も少しは注意をするようになるでしょう。
人間の手で除染するのは簡単で、土を表面から5ミリ、アスファルトを表面から2ミリ削ること、森林は樹木の枝を落とすことで、それを福島原発の半径5キロの地域に持って行って、樹木は焼却(フィルターつき)、アスファルトや土は除染洗浄して、その水を処理することを15年間で完了します。技術もあり、あとは決意だけで日本はもとの国土を取り戻すことができます。
そして、5年後、「良かった!子供を守ることができた!」と言うようになりたいものです。
また、経済を重視する人の中には「原発がないと日本経済が停滞する」と心配していますが、そんなことはありません。まず原発の電気代は安いと言われていますが、税金(年5000億円)、安全対策費、廃棄物処理費などを合計しますと、電力単価はほぼ石油、石炭並みか高めです。
今まで、電力の経営が目指してきたのは、原子力をやることによって国から税金を引き出し、その分だけ経営を改善するということです。経営者にとっては必ずしも悪い手段ではありませんが、国民にとっては電気代でも税金でも同じですから、それも専門家が指摘する必要があります。
また、石油・石炭・天然ガスはほぼ永久につかます(数1000年)ので、心配は要りませんし、温暖化は日本にほとんど被害を与えませんから、これも無関係です。資源枯渇や温暖化の問題はそれ自体を深く考えても良いのですが、それより「アメリカの動き」を見ていますとよくわかります。アメリカが動かなければあまり切羽詰まってはいないということです。
だから、(福島の人には不適切な表現ですが)、科学技術から言えば)原発は実験してみたら、地震に弱いことが判ったのですから、いったん基礎研究に戻り、出直す方が良いでしょう。
経済の人は「景気を良くする」というのは物流などもありますが、それより人の心が明るく、一致していることだと言うことをおわかりと思います。福島原発事故が起こっても原発を無理矢理稼働しても、なにか引っかかるものが残り、議論も紛糾します。
(平成23年9月26日)